2018年05月11日

ストーリーの巨視的な流れ

設定、展開、結末などと三幕構造では言われる。

名詞で呼ぶから難しくなる。
僕は動詞で考えてみた。


1 問題が起こり、埒があかず、本格的解決へ出発

2 そこに広がっていたのは全く違う世界で、とにかく一応の結果が出る

3 これまでと全く違った裏の世界を巡ることになる
ようやく底つきに至り、ラストの解決のめどがつく

4 全ての解決が最大の冒険で得られる

5 日常へ戻るが、まるで変わって感じられる


1234が大体等分量で、
5が一場面程度。


あえて短い名前にするならば、

1 日常からの離反
2 別世界での結果
3 地獄巡りと脱出
4 最大の解決
5 帰還

などと言えるだろうか。

基本的には、
一幕、二幕前半、二幕後半、三幕とラストシーン、
というこれまでのものを言い換えただけではあるが、
1234は舞台と出口を名称に入れ込んだことが、
特徴といえば特徴かな。


最近思うのは、
二幕前半と後半は、
表裏一体の世界のようになっていて、
前半がワクワクするお楽しみポイントなのに比較して、
後半は大抵ドロドロの裏側のような、
対比的になることが多いなあということ。

だから二幕の冒険を用意するとき、
表裏一体を用意することを考えると、
おおむねうまくいくように思える。

表は良さげなところが多く、
裏は見たくなかったこんな舞台裏、
みたいな構成にすると、
なんとなくうまくいく感じ。

で、大抵は、その裏世界で、
自分の嫌なところや触れたくなかったことと、
向き合わざるを得なくなり、
内面の克服という、
主人公の抱えるテーマの解決の糸口が、
見えなければならない。

これは神話研究などで「洞窟」と呼ばれるパートで、
ブレイクシュナイダー的には、
「死の予感」の部分だね。

これがテーマの確定と関連するから、
そのあとのクライマックスは燃えるし、
カタルシスがあるようになってるんだよな。



(たとえば脚本添削スペシャルでの、
「地に伏せろ!」は全くこういう構造になっている。
だから15分と短いながらも、
一編の映画を見た気分になるんじゃないかな)


で、短編と中編と長編の差は、
事件の規模や、解決の過程の段取りの多さや、
危険の規模や、別世界や地獄の広がりや深さや、
トップとボトムの振幅の大きさや、
テーマ性の深さの、
差なんじゃないかなあと考える。

これが適宜バランスがよいのが、
「その尺にちょうど良い」
という感覚を生むような気がする。
posted by おおおかとしひこ at 11:52| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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