面白いか面白くないか、それが重要だ。(ハムレットか)
面白くないのは論外でドブに捨てるとして、
「面白い」とはどういうことだろうか、
ちよっと考えてみよう。
「面白い」は、複数通りの面白さを、
雑に言った言葉じゃないか、説。
ゲラゲラ笑える。クスッとなる。皮肉が効いてる。
キレがいい。
ワクワクする。
ドキドキする。
キュンとする。
萌える。
燃える。
感動する。
号泣する。
知的興奮がある。
謎解きの快感。
パズルがはまって行くような感じ。
ダメだったものが生まれ変わる感じ。(カタルシス)
そことそこが繋がるのか!という感じ。
どんでん返しの驚き。
キャラクターの魅力。
セリフや言葉の魅力。
場所の魅力。
設定の魅力。
展開の魅力。
王道の魅力。
テンプレの魅力。
新しさの魅力。
人生観に影響を受けるほどの深さ。
思いつくまま書いてみた。
面白いとは、こういうものの部分集合から出来ていて、
それらを言葉に分解できない、
言葉の弱い人が、「面白い」って使うんじゃないか?
僕はよく、
「それは面白いのか?」って聞く。
面白いとすると、
「どこが面白いのか?」ってよく聞く。
それは、面白いわけないだろという反語ではなく、
単なる質問だ。
それに、面白い以外の言葉をなるべく使って、
表現できるのなら、
それは面白い内容があるってことだと思うんだよね。
部分の面白さしか言えなくたっていい。
本当は全体を包括する面白さを一言で言いたいが、
それがボキャブラリーが貧弱で叶わないときでも、
Aという面白さと、Bという面白さと、Cという面白さが、
混合してあるんです、
という説明だって構わないと思う。
一本取れないんなら、
技ありをたくさんとって合わせ一本にすればいいだけのこと。
それは面白い?
面白いなら、どう面白い?
それは他人の作品を、なるべく正確に見ようとする事で、
同様に、自分の作品を、なるべく正確に見ようとすることだ。
他人の作品を正確に見れないやつが、
どうして自分の作品を正確に、公平に見れているというのだ。
他人の作品の面白さを、
ちゃんと表現できる人は、
つまりはその面白さを部分集合に分解できる人だ。
じゃ、その正確な批評を、
自作品にもすればいいだけのこと。
それが出来ないのは、
目が腐ってるか、
バイアスがかかっているだけだ。
目薬さして、鏡を見ればいい。
2018年05月12日
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