キャラクターの立て方の例。
ストーリーを書き終えてから、
盛ってゆく例を示す。
ヤクザの木村が、自分の組が危うくなり、
別の組の野澤に組めないかと相談する。
しかし話は決裂する、
というシーンだった。
それまでキャラが立っていなかった木村
(このあと死ぬ)の為に用意した。
木村に感情移入、あるいは同情させたほうが、
あとの死ぬシーンでのショックを大きく出来るだろう、
という計算だった。
しかし、
その会話劇は、木村の内面を示すものの、
さして目立つシーンではなく、
いわばふつうのシーンでしかなかった。
あってもなくてもいい、文字稼ぎみたいだなあと。
そこで、木村の象徴的シーンにしよう、
と企む。
象徴というのは、ビジュアル上の表象のことである。
つまり、「木村といえば○○」
というなにかのビジュアルを考えることになる。
で、僕のひねり出した象徴とは、
「北九州一下品な踊りを踊る」というものであった。
「ケツ踊り」と称したそれは、
ケツをおっぴろげ、
「ケツは割れているのではない。
開いておるのでありまする。
ケツ裂ではなく、おひらきに」
と、ケツ穴をおっぴろげて女子に見せる、
決裂からの抗争にならぬように配慮した、
自分を笑わせる踊りであった。
そこはしっぽりした料亭「よし沢」だったのだが、
ビジュアル上さらに盛るため、
バニーガールキャバレーとした。
「きゃー、伝説のケツ踊りが生で見れるなんて!」
とバニーちゃんが寄ってくるのである。
バカバカしい方向に舵を取ってみた。
これで、「木村と言えばケツ踊り」
という強烈な象徴が出来た。
木村は、
組のために別の組と話をして断られた人、
という地味なイメージから、
「ケツ踊りでバニーちゃんにケツ穴を見せた人」
ということになった。
ここまで鮮烈なイメージがあれば、
そのあと死ぬシーンは効く。
勿論、バカバカしい方向以外もある。
認知症のお婆ちゃんを世話する、とか、
雨の日に子犬を拾う、とかの、
定番を入れても構わない。
しかし「オリジナルの象徴」であるべきだと僕は思う。
僕は笑いを選んだが、
それはたまたま思いついただけに過ぎない。
木村と言えばケツ踊り。
木村という名前すら覚えてもらえない。
ケツ踊りの人、として記憶に残る。
のちのち、
「主人公とケツの人が…」なんて思い出され方をするだろう。
それで十分象徴として機能する。
人は、
頭の中で、
人間を動かしたり、セリフを喋らせたり、
時間軸を持って移動させるのが苦手だ。
そういうときは、
「頭の中で持って動かせるもの」を与える。
それは大概ワンイメージで、写真のように静止している。
石と同じで、それなら動かせる。
象徴とは、そういうことだ。
地味な石の代わりに、強烈なケツにするのである。
(こうやってギャグによってキャラを立てていくのは、
僕はよくやったりする。
ドラマ風魔では、
8人もいる敵の八将軍なんて一人一人覚えられるはずがないから、
何人かはギャグ的にしてキャラを立てる。
雷電の大げさな芝居や落下死、
妖水の髪型や炎上死などは、僕の得意技のひとつだね。
それによって覚えなければいけないのは、
8-2=6になるわけだ。
不知火はすぐ死ぬとして、
白虎と紫炎が死んだあたりで、
残り覚えなきゃいけないのは6-3=3。
闇鬼は雷電のつまみなので、
あと2を覚えればいい。黒獅子と陽炎。
どちらも重要キャラだ。
こうやってキャラを立たせることで、
何が重要で何が重要でないかを、
切り分けていくのである)
風魔のことを思い出すと、確かにその通りだなと思います。
自分が記憶力ないだけかもしれませんが
敵の幹部連中の名前なんて殆ど覚えてないのに
・ヨーヨーで攻撃してた人
・霧の中落ちて死んだ人
・力自慢してて子供にたかられてた人
こういう行動で覚えていました。
もちろん、そう視聴者に覚えてもらえるように作ってあるので記憶に残っているわけで。
つい、キャラの設定を延々と説明してしまいますが、
それよりも印象的な行動を見せていきたいですね。
そういうことです。
衣装とか、顔とか、髪型では記憶しないんですねえ。
そういうのを確認するのは「写真」なんですよ。
映像は動くのです。動きで記憶します。
小島よしおは、ギャグではなく、受けなくて下手こいたーという設定ではなく、水着一丁の扮装のインパクトでもなく、
あの変な動きで記憶に残っています。