2018年05月19日

食べ残しなし

僕が映画が好きなのは、全部スッキリ片がつくからかもしれない。

全部を一回ぶちまけて皿に出し、
調理しきって、喰いつくし、
平らげ、ちょっとしたデザートも喰らい、
そうして何も残らず、
記憶だけになってしまうからかもしれない。


ドラマが、あんまり僕は好きじゃない。
昔のドラマは好きだった。

視聴率に応じて、話を変え始めるようになって、
興味がなくなったのかもしれない。
(好きだったドラマを紐解くと、たいがいは撮影前に全て台本が出来ている、
映画と同じ方式であったことが多い。
オンエアしながら台本を変えていくなんて、ただのアドリブショーではないか)


ストーリーはパズルの一種であるともいえる。
全てのパーツが、
過不足なくかみ合って、
最後にスッキリと解消して、
何もかも食べ残しなしになるから、
僕はストーリーが好きなのかもしれない。


伏線を残したままにして、
次回作にヒキをつくるだって?
あほか。映画がなにかわかっているのか。

二度と会わないかもしれない人たちに、
フルコース食べ残しなし、
の最高の満足を味合わせるために、
映画があると僕は思う。


伏線は全部使う。
壁にかけられたままの銃はない。
使うべきものとして用意されたものは、
全てが機能し、全てが意味がある。

そういう完璧なものが、
僕は好きなのだと思う。



先日回収し忘れて、
放りっぱなしになっていたものを、
全部回収し終えた。

もうお腹いっぱい、
これ以上一口も入らない、
最高の満足を得た、
ような気がする。
(まだリライト前なので、予断は許さないが)

全部を説明して終わらせるのは愚の骨頂だ。

いわずもがな、で全てが想像できるようになっているのがベストだ。

最近書いたやつでは、
そういうラストを用意できたので、
たいへん満足している。


伏線は回収したか?
しかも見事に回収したか?
最後にあれはどうなったんだっけ、は残っていないか?
全部をきれいさっぱりに、
白い皿だけになるようにしよう。

全ては記憶の中に、
完璧な形として格納される。
それがストーリーというものの、
最大の魅力であるような気がしている。
posted by おおおかとしひこ at 16:58| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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