欲というものに、向き合ってみよう。
人には沢山の欲があるという話ではなく、
「欲との付き合い方に色々ある」という話。
たとえば、
「下ネタなんてとんでもない。
それはないことになっている」
という態度をとる人がいる。
いや、やることやってるやろ、
という下品な人もいれば、
一切ないことにする人もいる。
基本的に女の人が多いが、
女の人同士ならオープンにする人もいれば、
女同士の間でも、プライベートなこととして、
秘める人もいる。
後輩の女子と食事をしたときに、
男の後輩が「先シャワー浴びてこいよ」と、
ライトな下ネタを話していたら、
「食事中よ」とたしなめたのがとても面白かった。
僕ら中二男子からすれば食事と性は同等だ。
食事のほうが性よりも上品だというのだろうか。
これは是非ではなく、
それらは人によって異なる、
ということが本題である。
そもそも、
「人に食べているのをみられるのすら嫌」
という人もいるよね。
食事は欲であり、
つまりは欲を満たしている様を見られるのが、
そもそも嫌だという感覚も、
人によっては鋭敏にある。
そういう人は「食事を共にする」のは
「ベッドを共にする」のと同じくらいのことかもしれない。
逆の意味で、飯を食うことは体を食うことと同じ、
というやりちんもいるかもしれない。
まあほとんどの人は、
その間で、食事と性と上品と下品の間で、
それぞれに線引きをしていることだろう。
僕はちなみにフルオープン派だ。
さて。
悟りを開いた人以外は、
人間は欲望がある。
マズローの理論を紐解くことなく、
食欲、性欲、睡眠欲が三大欲求としてあるとして、
死にたくない、病気は嫌、痛いのや怖いのは嫌、
生きてる実感を味わいたい、
承認されたい、
ぬくぬく暮らしたい、
手を抜きたい、
褒められたい、有名になりたい、
うまいもの食いたい、いい女抱きたい、
金が欲しい、
などなどの欲が人にあることは、
確かである。
さて。
これらは、
自分だけではなく、他人全てにある、
ということを考えると、頭がクラクラしてくる。
一億二千万の人全て、
70億の人全てに、
これらの欲求が渦巻いているところを想像しよう。
そして、
それは同様に、
あなたの書く登場人物すべての、
頭の中でも渦巻いていると、
想像しよう。
だから、行動するのだ。
あるいは、ひた隠すのである。
人は、
欲望を実現しようとしたり、
隠したりする生き物である。
それが、少なくともあなたの書く、
メイン登場人物で、
実現されているだろうか?
欲のないロボットのようであったり、
欲全開のバカでしかないのではないか?
欲を見せる人もいれば、
欲を隠す人もいるし、
特定の欲を見せる人もいれば、
特定の欲を隠す人もいる。
そういう風にすることが、
人間のリアルということだ。
創作の登場人物ほど、
描き込みすぎるか、
描き込めてないかの、
どちらかになってしまう。
メインは描き込み、
サブは薄く、
ということもできなくなりがちだ。
あなたの書く人物が、
薄っぺらいのは、
そのような、
欲と人間についての観察や、構築力が、
ないからかもしれない。
人は理によっても行動するが、
欲によっても行動する。
そして欲は「見せないもの」という倫理も働く。
そこにドラマの種がたくさんあるわけだ。
2018年05月24日
この記事へのコメント
コメントを書く