2018年05月24日

欲というものに、向き合ってみよう。

人には沢山の欲があるという話ではなく、
「欲との付き合い方に色々ある」という話。


たとえば、
「下ネタなんてとんでもない。
それはないことになっている」
という態度をとる人がいる。

いや、やることやってるやろ、
という下品な人もいれば、
一切ないことにする人もいる。

基本的に女の人が多いが、
女の人同士ならオープンにする人もいれば、
女同士の間でも、プライベートなこととして、
秘める人もいる。

後輩の女子と食事をしたときに、
男の後輩が「先シャワー浴びてこいよ」と、
ライトな下ネタを話していたら、
「食事中よ」とたしなめたのがとても面白かった。

僕ら中二男子からすれば食事と性は同等だ。
食事のほうが性よりも上品だというのだろうか。

これは是非ではなく、
それらは人によって異なる、
ということが本題である。

そもそも、
「人に食べているのをみられるのすら嫌」
という人もいるよね。
食事は欲であり、
つまりは欲を満たしている様を見られるのが、
そもそも嫌だという感覚も、
人によっては鋭敏にある。

そういう人は「食事を共にする」のは
「ベッドを共にする」のと同じくらいのことかもしれない。

逆の意味で、飯を食うことは体を食うことと同じ、
というやりちんもいるかもしれない。

まあほとんどの人は、
その間で、食事と性と上品と下品の間で、
それぞれに線引きをしていることだろう。

僕はちなみにフルオープン派だ。


さて。

悟りを開いた人以外は、
人間は欲望がある。

マズローの理論を紐解くことなく、
食欲、性欲、睡眠欲が三大欲求としてあるとして、

死にたくない、病気は嫌、痛いのや怖いのは嫌、
生きてる実感を味わいたい、
承認されたい、
ぬくぬく暮らしたい、
手を抜きたい、
褒められたい、有名になりたい、
うまいもの食いたい、いい女抱きたい、
金が欲しい、

などなどの欲が人にあることは、
確かである。


さて。

これらは、
自分だけではなく、他人全てにある、
ということを考えると、頭がクラクラしてくる。
一億二千万の人全て、
70億の人全てに、
これらの欲求が渦巻いているところを想像しよう。


そして、
それは同様に、
あなたの書く登場人物すべての、
頭の中でも渦巻いていると、
想像しよう。


だから、行動するのだ。

あるいは、ひた隠すのである。


人は、
欲望を実現しようとしたり、
隠したりする生き物である。

それが、少なくともあなたの書く、
メイン登場人物で、
実現されているだろうか?

欲のないロボットのようであったり、
欲全開のバカでしかないのではないか?

欲を見せる人もいれば、
欲を隠す人もいるし、
特定の欲を見せる人もいれば、
特定の欲を隠す人もいる。

そういう風にすることが、
人間のリアルということだ。


創作の登場人物ほど、
描き込みすぎるか、
描き込めてないかの、
どちらかになってしまう。

メインは描き込み、
サブは薄く、
ということもできなくなりがちだ。

あなたの書く人物が、
薄っぺらいのは、
そのような、
欲と人間についての観察や、構築力が、
ないからかもしれない。


人は理によっても行動するが、
欲によっても行動する。
そして欲は「見せないもの」という倫理も働く。
そこにドラマの種がたくさんあるわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。