2018年05月25日

邦画が「実写再現装置」にしかならないのは、宣伝に問題がある

売れないのは、宣伝が悪いからだとまじめに思う。

たとえばネットでの記事の扱いは本当に下手だ。
人気原作「○○」がついに実写化!か、
○○(人気芸能人)が○○に挑戦?か、
○○をCGで再現!
しかないと僕は思う。

つまり、オリジナルの何があるかを、
宣伝で語っていない。
語られるのは「実写再現装置」であるその要素だけだ。


今や、ネットの記事引用は、
ファーストコンタクトポイントだと僕は思う。

動画や予告編やポスターや、
ちゃんとした映画ライターの記事は、
セカンドコンタクトポイントでしかないと思う。

つまり、
その映画の第一印象は、
ネットで引用されやすい、
ごく短い言葉(売り文句)で決まる。

これを宣伝部は管理しとるのかね。


その第一印象が内容ではなく、
「○○の再現」ばかり言ってるから、
邦画は誰も興味がなくなってきたのではないか。



たとえば自作の例で考えると、

ドラマ「風魔の小次郎」は、
「あの車田正美の伝説の漫画が、今実写化!」
というのは間違っている。

「学園の姫を守るために、半人前忍者が大暴れ!」
が正しい宣伝文句だ。
あるいは、
「学園の表と裏を舞台にした、イケメン忍者の抗争!」
でもいいと思う。

前者は初期の風小次、後者は夜叉編の風小次の宣伝文句になるだろう。


ちなみに東宝宣伝部は、
「学園忍者アクション」と、
短い文句で勝負してきたが、
短すぎてなんだかわからないと思うよ。


映画「いけちゃんとぼく」でいえば、
「西原理恵子の泣ける絵本No. 1が映画化!」
は間違いで、
「蒼井優が声優に再挑戦!」
もどうでもよくて、

「いじめを克服したら、
秘密の話し相手『いけちゃん』はいなくなっていた」

が正解だと思う。



つまりは、
宣伝文句の一文は、
ストーリーになるべきだとぼくは考える。

ほんとうにストーリーさえ面白ければ、
それは一文にしたときも、
ディテールは分からないが、
面白そうだぞ、
と思える骨格を提出することが出来るはずだ。


なぜこうしないのか。

ぼくは、宣伝部が無能だからと考えている。


全ての宣伝部がそうだとは言えないが、
少なくとも当時の角川宣伝部は無能だった。
その考え方で対立し、
まったくもって間違った売られ方をしたことは、
過去にも書いたので省略する。



再現装置以上に何を与えてくれるのか。
そこが映画のアイデンティティではないか。

つまり、多くのダメな宣伝文句は、
アイデンティティを与えていないのである。

これでは理解もされないし、伝わらないし、
しかも本質を誤解されて伝播される。

もっとも、
商売というのは売り物よりも大袈裟に宣伝して、
スペック以上の騙しをすることもある。

だから逆に、
「この程度の再現装置情報しかないということは、
たいして面白くないのだな。
だって再現確認しか僕らの仕事がないもの」
と低めに見積もられて、
情報として捨てられる可能性があるということだ。



上手な宣伝は、映画の本質をえぐりぬく。
これは、ストーリーとは何か、
ストーリーの何が本質かを見抜く目があり、
かつ、それを短い言葉にまとめる力が必要だ。

つまり、
宣伝部には才能がいる。

ぼくには、今の宣伝部は、才能なき無能集団に見える。



たとえば最近感銘を受けた「ダンガル」。
ちっともタイトルからなんだか分からない。
邦題で理解させられない。
「ガンバル」でいいんじゃないか。
(元タイトルは頑張るの意味)

宣伝文句は、
「インドで大ヒット記録更新!」
「『きっと、うまくいく』のコンビ再集合!」
ではなく、
「思い込んだら命がけのレスラー親父が、
か弱い娘に才能を見出す!」
でいいと思う。


つまり、
再現装置情報などは、
ボディコピーのサブコピーでしかない。
「省エネNo. 1」「グッドデザイン賞受賞」
「全米が泣いた」「興行収入一位」
キャッチコピーが一行あり、
ボディコピーで理解させ、
サブコピーで抑えこむ、
というコピーワークの作法において、
キャッチコピー(邦題)も、
ボディコピーも機能してないんだよ。


だからダメなんだと思うよ。
これで「売れない」だって?
そりゃそうだろ。
店頭に三年間立って現場を見て来いや。
映画を見た人の失望と満足がどうやって作られるのか、
自分とこの映画館だけじゃなくて、
他の映画館もみてくればいいんだ。

いかに宣伝が悪くて、
だれもそれを見ようとしてないか、
世間の常識を観察するといい。


ぼくは映画好きで、
それらを勘案して咀嚼してから見るべき映画を選定するが、
それは誰もが出来ることじゃない。

出来る立場にいるのは宣伝部だろう。



もっとも、
広告代理店も、コピー一行で世界を変えていけるだけの、
才能が減っている。
なんだっけ、「火星の人」を「オデッセイ」にしたのは、
どっかの広告代理店だっけ。
なんにも機能してないよね。


つまり、上手な広告が減っているわけだ。

ぼくは広告は文化レベルでないと許せない、
80年代に青春を送った人間だ。
いま広告が文化の最底辺に位置していることを、
宣伝部はどう思っているのか、
まじめに語ってみたい。
posted by おおおかとしひこ at 13:49| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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