昨日までの自分を越えよう。
言うのは簡単だけど、実行はなかなかに難しい。
まずこうなるためには、
作品を何本も書くことが望ましい。
自分の至高の一本だけを書くことできゅうきゅうになり、
結局完成させられない人は、
こんなことを考えたこともないだろう。
まずは完成させること。
「おわり」まで書くこと。
これを何回やったかでうまさが決まると思って良い。
だから僕はショートを書けとアドバイスする。
完結の経験を積みやすいからである。
最初から二時間を目指してはいけない。
うまくなってからやることだ。
二時間のシナリオは、
そういう上手い人たちが鎬を削る場所で、
一度も書いたことない人が戦う場所ではない。
そこで戦う上手い人たちは、
身長分原稿を積んで書いてきた人である。
で、
5分でも3分でもいいから、
完結の経験を積もう。
毎年の脚本添削スペシャルは15分以内だ。
原稿用紙15枚相当だ。
どれくらいの規模の話が書けるかは、
ほかの作品群を見ても大体分かるだろう。
この規模がちゃんとまとまって腑に落ちるように書けない奴に、
二時間がまとまって腑に落ちるように、
書けるわけないのだ。
ストーリーを書くという行為は、
面白い場面や気の利いた台詞を書くことや、
そそるシチュエーションを書くことではない。
それはテクニックの部分で、本質ではない。
完結を経験することは、
完結未経験では得られない、
「まとまって腑に落ちる」ことをする必要があり、
それこそがストーリーの本質だ。
それはどういうことかというと、
「なるほどこれはこういう話だったのかあ。
うまく出来てんなあ」
ということだ。
ストーリーというのは、
完結する瞬間に、それを観客に味あわせて終わらなければならない。
それがないものはただの
「ヤマなしオチなし意味なし」である。
(80年代からあるアマチュアの創作を揶揄する言葉。
これが縮まってヤオイとなったが、
今ではヤオイはBLの意味限定で使われ、
元の意味を失っている)
え?落ちがいるの?もちろんそうだ。
え?ヤマがいるの?もちろんそうだ。
落ちの前は最も面白く、そして落ちがバチっと決まるべきだ。
え?意味がいるの?もちろんそうだ。
落ちが決まったら、
即座に「なるほどね、このストーリーはこういう意味だったんだな。
うまいことできてるなあ」
とならなければならない。
(それをテーマと呼んだりする)
つまりストーリーを作るという行為は、
面白い場面や、気の利いた台詞や、
そそるシチュエーションを「道具」として使い、
それらが落ちがついたときに、
「これまでのすべてのことを総合すると、
こういう意味(意義)があったのだ」
をつくる行為なのである。
場面やキャラや台詞は、道具立てでしかない。
場面やキャラや台詞は書けるんだけど最後まで書けない、
なんてやつは、
道具は揃ったがまだひとつもプラモを作ってないやつだ。
勿論、
意味に沿うような道具立てを注意深く選ぶ必要があり、
それはたかが数回の完結経験では身につかないほど、
経験のいる分野である。
だから、
何回も何回も何回も、
ストーリーを完結して書きなさい。
道具に慣れなさい。
道具に振り回されないようにしなさい。
意味と構造とガワの関係を、
何度も何度も経験して学びなさい。
得意ジャンルがあればそれを伸ばしなさい。
武器は鋭い方がいい。
ついでに、やったことないこともしてみなさい。
苦手の克服が出来れば万歳だが、
それをやってみると、
「なるほどこれはこうだったのか」
という新しい発見、理解をすることが出来るのが大きい。
あるいは、自分の知らなかった武器に出会えることもある。
(たとえばワンシチュエーションものを書いてみる、
たとえば違うジャンルを書いてみる、
たとえばどんでん返し縛りをしてみる、
たとえば女だけしか出ない、男しか出ない話、
たとえば伏線しばり…)
それは数本書いたって、
全然足りない経験だ。
何度も何度もやってみて、
少しずつうまくなっていく経験でしかない。
これには年単位かかる。
たとえば脚本添削スペシャルのレギュラーのほらさんは、
年々うまくなってきている。
一本目に比べると、
話のわかりやすさや細かい工夫が見られるようになってきている。
プロレベルかというとまだ当落線だけど。
これらは、
複数回完結させて、
それでも書き続けないと、
自得できないことである。
当たり前だけど、
だれかほかの人が代わりに書いてくれるわけではない。
あなたが全部やらなければならない。
(共同執筆という手はあるが、
よほどの実力者同士でないと、
譲るところと突っ込むところの呼吸が難しく、
たいていは喧嘩別れになる)
一人で台所で料理を一通り出来るようになるのと、
似たようなことだと思う。
今日作るものは、
昨日作ったものを超えるべきだ。
明日作るものは、
今日作ったものを超えるべきだ。
そして、いつか作るもののために、
今日は実験してみて、知らないジャンルをやってみるのだ。
あなたはあなた自身を更新しなければならない。
なぜなら、
更新しないままでは、
たいした話は書けていないからである。
湯水のように面白い話が湧いてきて、
しかも毎回トップクラスのストーリーになるように、
自分自身を鍛えるしかない。
沢山名作は見るべきだし、
最低段ボール二箱は書き潰すべきだ。
何回完結させたか、なんて数えきれないほど、
習作はしよう。
習字だって一枚に完結させてようやく全体のバランスとかが議論できる。
それを何枚も何枚も書いてうまくなっていく。
創作は自習しかない。
だって真似は創作じゃないからね。
じゃあ、自分で自分を超えるしかないんだ。
何年も続けた人だけがそのうちうまくなる程度の、
これはとても厳しい道なんだ。
自分史上最高の出来。
それを毎日更新していくしかない。
その先にしか、頂上はない。
2018年05月26日
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