普段歩いている道を、逆に行くと面白い。
たとえば、
通学通勤の時間帯の逆を見てみるのもよい。
夜駅にいくルートで、朝帰るルートで歩いてみるのも、
とても発見がある。
時間軸を逆にみるエクササイズ。
知っているストーリーを、
結末から話してみよう。
ラストシーンから始まり、
つかみのオープニングで終わるのだ。
何が最後にあり、
その前は何があり、
その原因は何で……と、
さかのぼっていくことになるだろう。
短い知っているストーリーで最初はやるべきだ。
たとえば脚本添削スペシャルでやったような尺だと、
手近でやりやすい。
慣れたら長編でもやってみるとよい。
さて、
これの効用は、
ものごとを因果関係でとらえられるようになることだ。
これが起こった、その原因はこれで、
それがもともとここから関係していて、
そもそもの発端はこれだった、
のように、
結果から原因に戻っていくことができる。
つまり、
ストーリーというのは、因果であることが如実にわかる。
逆に、因果をうまくつくることこそがストーリーを作ることなのだ、
ということが、肌感で理解できるだろう。
なんでこうなったんだっけ、
こうだったから、
それの原因は……
と自分で解説することで、
どういうことがどう絡み合っているのか、
確認することができる。
(たとえば科学というのは、現在が結果で、
根本的な過去の原因まで戻る、
一種のミステリーのことである)
これで逆に、
そのストーリーの構造がよくわかる、
という逆説的理解ができる。
重要な体験は、
ここの伏線はこんなに前に張ってあったのか、
という発見だ。
一幕は、
そういう意味では伏線張り大会なのだな、
と理解することができる。
最初に見ていたときまったく意識しなかったことが、
「これはここではこう使われて、
このような感情を我々に抱かせるのだが、
これがまったく別のことに意外にも使われ、
あとあとあっと驚くことになる」
という分析ができるようになるはずだ。
もちろん、伏線はただそこに置かれるだけではない。
「まったく別のことに使われていた印象的なものを、
あとあと全然別のことに使いあっと言わせる」
という構造を読み取るべきである。
そうすると、
後半部分の面白味、ラストシーンの満足感、高揚感、腑に落ちた感が、
「いったいどこから始まったものなのか」
「いったいどこから計算されて用意されていたのか」
ということがわかるようになる。
出来上がった料理を、材料にまで分解する練習だともいえるかも。
これが十分にできるようになると、
「こういう材料を集めると、大体こういうことができる」とか、
「こういうことをするためには、こういうものが事前に必要」
という判断が下せるようになる。
逆算というやつだ。
名作でやってもいいし、
メインプロットだけでやってもいいし、
サブプロットとともにやってもいいし、
自作でやってみてもよい。
何本かやると、
構造を把握するのが速くなると思う。
2018年05月31日
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