2018年05月31日

逆行のエクササイズ

普段歩いている道を、逆に行くと面白い。

たとえば、
通学通勤の時間帯の逆を見てみるのもよい。
夜駅にいくルートで、朝帰るルートで歩いてみるのも、
とても発見がある。

時間軸を逆にみるエクササイズ。



知っているストーリーを、
結末から話してみよう。

ラストシーンから始まり、
つかみのオープニングで終わるのだ。


何が最後にあり、
その前は何があり、
その原因は何で……と、
さかのぼっていくことになるだろう。

短い知っているストーリーで最初はやるべきだ。
たとえば脚本添削スペシャルでやったような尺だと、
手近でやりやすい。
慣れたら長編でもやってみるとよい。



さて、
これの効用は、
ものごとを因果関係でとらえられるようになることだ。

これが起こった、その原因はこれで、
それがもともとここから関係していて、
そもそもの発端はこれだった、
のように、
結果から原因に戻っていくことができる。

つまり、
ストーリーというのは、因果であることが如実にわかる。

逆に、因果をうまくつくることこそがストーリーを作ることなのだ、
ということが、肌感で理解できるだろう。


なんでこうなったんだっけ、
こうだったから、
それの原因は……
と自分で解説することで、
どういうことがどう絡み合っているのか、
確認することができる。

(たとえば科学というのは、現在が結果で、
根本的な過去の原因まで戻る、
一種のミステリーのことである)



これで逆に、
そのストーリーの構造がよくわかる、
という逆説的理解ができる。


重要な体験は、
ここの伏線はこんなに前に張ってあったのか、
という発見だ。

一幕は、
そういう意味では伏線張り大会なのだな、
と理解することができる。

最初に見ていたときまったく意識しなかったことが、
「これはここではこう使われて、
このような感情を我々に抱かせるのだが、
これがまったく別のことに意外にも使われ、
あとあとあっと驚くことになる」
という分析ができるようになるはずだ。

もちろん、伏線はただそこに置かれるだけではない。
「まったく別のことに使われていた印象的なものを、
あとあと全然別のことに使いあっと言わせる」
という構造を読み取るべきである。



そうすると、
後半部分の面白味、ラストシーンの満足感、高揚感、腑に落ちた感が、
「いったいどこから始まったものなのか」
「いったいどこから計算されて用意されていたのか」
ということがわかるようになる。

出来上がった料理を、材料にまで分解する練習だともいえるかも。


これが十分にできるようになると、
「こういう材料を集めると、大体こういうことができる」とか、
「こういうことをするためには、こういうものが事前に必要」
という判断が下せるようになる。

逆算というやつだ。


名作でやってもいいし、
メインプロットだけでやってもいいし、
サブプロットとともにやってもいいし、
自作でやってみてもよい。

何本かやると、
構造を把握するのが速くなると思う。
posted by おおおかとしひこ at 15:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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