前も書いたかも知れないが、
僕はエンタメという言葉がとても嫌いだ。
それは、
「面白ければそれでいいじゃない」という開き直りに取れる。
あれ?面白いだけじゃだめなのかい。
ストーリーというのはそれ以上のことなんだよ。
エンタメ要素の具体を並べてみる。
イケメンや美女の眼福。豪華芸能人や豪華衣装。
世界観の面白さやビジュアル。
豪華アーティストによる美しい、泣ける、燃える、音楽。
コスチュームやCGやギミックの面白さ。
踊りやセットのショウ感、ザッツエンターテイメント感。
アクション。爆発。スタント。
メロドラマ。ラブシーン。
戦争と破壊。正義と悪。
人の心の暗部。人の心の優しさ。
などなど。
さて、これらは全て「名詞」であることに注意されたい。
僕はエンタメとは名詞で捉えられることではないかと考えている。
〇〇を見たいから、
それを見たら満足するやつ。
たとえば漫才を例にとると、
ネタ自体はどうでもよくて、
持ちギャグさえ見れればOKみたいな感じ。
最近テレビを見てないので情報が古いが、
小島よしおのネタの部分は、
冒頭の「へたこいたー」までの部分であり、
「そんなの関係ねえ」や「オッパッピー」は持ちギャグだ。
面白い顔や面白い言葉や面白い言い方が、ギャグで、点だ。
名詞で言えるものである。
そうそう、僕がPPAPが嫌いなのは、
ネタがなくて持ちギャグだけだからだ。
PPAPが面白いという人は、
持ちギャグが面白いと言っているだけだ。
僕はそれ以外の何かを見たいが、
どうもそれは彼のネタにはなかった。
ぎゃくに、持ちギャグ100連発なら、
総集編的にいくらでも作れるということになる。
ストーリーというのはそうではない。
勿論、場面場面にそういう持ちギャグ的な、
名詞的な、エンタメ要素を配置することはできる。
しかしストーリー自身の持つ面白さはそれではない。
ギャグ100連発とは違う面白さこそが、
ストーリーの面白さである。
どういうことかというと、
何度も言っているが、線の面白さである。
つまり、
「一体この状態はどうなってしまうのだろう」
という不安からの、
「こういう展開になったのか」
という面白さだ。
そして、
それらが連鎖して最後に決まった時の、
「これらには全体的にこういう意味があったのだ」
と分かる、
テーマが胸に迫る感じである。
テーマは胸に迫らなくてはならない。
ただないといけないからお飾りのように入れときました、
はテーマではない。それは言い訳だ。
それを見た人が、心からそう思い、
なんなら涙を流して人生観が変わるほど、
テーマというのは胸に迫らなくてはならない。
たとえば最近の傑作「ダンガル」のテーマは、
「たとえ反対されても貫く意思があり、
それが正しければ周りがついてくる」
というものであった。
それは頭では分かることだけど、
心で分かることではない。
しかし我々はこの映画を一度見れば、
このことが心から納得できる。
だから実世界でも頑張ろうと思える。
つらいことがあっても、
「ダンガル!ダンガル!」と歌って前に進もうと思える。
(ちなみにダンガルは頑張るの意味)
映画というのは、
うまく出来れば、
そこまで人の心を動かすストーリーを作ることが出来る。
そしてここでは、
それらをパーツに分解したり、
組み立て直したり、
書き直したりして、
解剖を日々しているわけだ。
本題に戻ると、
エンタメという言い方は、
このようなストーリーの面白さを、
まるで無視したような言い方だから、
僕は嫌いなのだ。
「ダンガル」の面白さを、
頑固者の父と娘の親子愛とか、
レスリングシーンの凄さとか、
悪役コーチの憎らしさとか、
王道ストーリーで泣ける話とか、
「名詞」で語る奴は、
映画を語る言葉を持っていないと僕は考えている。
いや、素人がそうやって、
ストーリーにあるエンタメ要素を取り出して語るのは、
構わない。
だが卑しくもストーリーの組み立てに関わろうとする者が、
エンタメ要素のプラモデルでしか映画を語れないのは、
全く意味がないと僕は考える。
前にも批判したが、
日経エンタテイメントが僕は大嫌いだ。
エンタメ要素のありなしや組み技合わせだけで、
映画を評価する流れをつくった、真犯人だと思う。
厄介なのはこれが投資の基準になってしまって、
投資がエンタメ要素のチェックリストでしかなくなったのが、
邦画が凋落している真の原因だと僕は考える。
映画をエンタメ要素だけで捉えるならば、
ギャグ100連発のように、
エンタメ要素を並べて、
チャプターで飛ばせるようにしとけばいいんだよ、
それは映画じゃない。
映像を使ったエンタメリストでしかない。
あ、コンテンツってこういう捉え方だよね。
案件という言い方も僕は大嫌いだ。
案件やコンテンツやエンタメは、
全て作品を番号で管理する、
管理者のやり方だ。
それは人間の背番号制と同じでしかない。
人間をスペックで判断する、
お見合いの釣書と同じくらい、
愚かなことであると思う。
(まあスペック第一関門、
次に性格や内容の審査、という段取りもあるが)
ストーリーとは動きである。
私たちは動いているものを、
止めてしか理解できない。
ダンスを止め絵の連続でしか理解できないように。
だから言葉でストーリーを理解すること自体、
そもそも間違ってるのではないか、
ということすら最近は考えているくらいだ。
しかし言葉でしか我々はコミュニケーションが取れないので、
数行でもそのストーリーを再体験できるような、
ログラインないしテーマが書き下せるのは、
よほどの言葉力がいるなあと、
最近は思っている。
(だから最初にログラインやテーマを書こう、
なんて指導する人は、間違ってると僕は思う。
最初からそんなスパッと書けたら、
もう出来てるってことだからね)
つまり、
エンタメとかいう言葉を使う奴は、
映画がどういうものなのかを分かっていない、
素人の発言なのだよ。
素人は黙ってろ、というつもりはない。
だからここで勉強できるように、
なんとかしてストーリーとはなんぞやを、
頑張って言葉で解説しているつもりだ。
なぜなら私たちは言葉でしか理解ができないからだ。
力及ばずならすいません。
言葉以上の何かでストーリーを理解したければ、
まずは脚本添削SP2018を参考に。
2018年06月01日
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