2018年06月01日

エンタメという言葉が嫌い

前も書いたかも知れないが、
僕はエンタメという言葉がとても嫌いだ。

それは、
「面白ければそれでいいじゃない」という開き直りに取れる。

あれ?面白いだけじゃだめなのかい。
ストーリーというのはそれ以上のことなんだよ。


エンタメ要素の具体を並べてみる。

イケメンや美女の眼福。豪華芸能人や豪華衣装。
世界観の面白さやビジュアル。
豪華アーティストによる美しい、泣ける、燃える、音楽。

コスチュームやCGやギミックの面白さ。
踊りやセットのショウ感、ザッツエンターテイメント感。

アクション。爆発。スタント。

メロドラマ。ラブシーン。

戦争と破壊。正義と悪。
人の心の暗部。人の心の優しさ。


などなど。

さて、これらは全て「名詞」であることに注意されたい。


僕はエンタメとは名詞で捉えられることではないかと考えている。
〇〇を見たいから、
それを見たら満足するやつ。


たとえば漫才を例にとると、
ネタ自体はどうでもよくて、
持ちギャグさえ見れればOKみたいな感じ。

最近テレビを見てないので情報が古いが、
小島よしおのネタの部分は、
冒頭の「へたこいたー」までの部分であり、
「そんなの関係ねえ」や「オッパッピー」は持ちギャグだ。

面白い顔や面白い言葉や面白い言い方が、ギャグで、点だ。
名詞で言えるものである。

そうそう、僕がPPAPが嫌いなのは、
ネタがなくて持ちギャグだけだからだ。

PPAPが面白いという人は、
持ちギャグが面白いと言っているだけだ。
僕はそれ以外の何かを見たいが、
どうもそれは彼のネタにはなかった。

ぎゃくに、持ちギャグ100連発なら、
総集編的にいくらでも作れるということになる。



ストーリーというのはそうではない。
勿論、場面場面にそういう持ちギャグ的な、
名詞的な、エンタメ要素を配置することはできる。

しかしストーリー自身の持つ面白さはそれではない。
ギャグ100連発とは違う面白さこそが、
ストーリーの面白さである。

どういうことかというと、
何度も言っているが、線の面白さである。


つまり、
「一体この状態はどうなってしまうのだろう」
という不安からの、
「こういう展開になったのか」
という面白さだ。

そして、
それらが連鎖して最後に決まった時の、
「これらには全体的にこういう意味があったのだ」
と分かる、
テーマが胸に迫る感じである。

テーマは胸に迫らなくてはならない。
ただないといけないからお飾りのように入れときました、
はテーマではない。それは言い訳だ。

それを見た人が、心からそう思い、
なんなら涙を流して人生観が変わるほど、
テーマというのは胸に迫らなくてはならない。


たとえば最近の傑作「ダンガル」のテーマは、
「たとえ反対されても貫く意思があり、
それが正しければ周りがついてくる」
というものであった。

それは頭では分かることだけど、
心で分かることではない。
しかし我々はこの映画を一度見れば、
このことが心から納得できる。
だから実世界でも頑張ろうと思える。
つらいことがあっても、
「ダンガル!ダンガル!」と歌って前に進もうと思える。
(ちなみにダンガルは頑張るの意味)

映画というのは、
うまく出来れば、
そこまで人の心を動かすストーリーを作ることが出来る。

そしてここでは、
それらをパーツに分解したり、
組み立て直したり、
書き直したりして、
解剖を日々しているわけだ。


本題に戻ると、
エンタメという言い方は、
このようなストーリーの面白さを、
まるで無視したような言い方だから、
僕は嫌いなのだ。

「ダンガル」の面白さを、
頑固者の父と娘の親子愛とか、
レスリングシーンの凄さとか、
悪役コーチの憎らしさとか、
王道ストーリーで泣ける話とか、
「名詞」で語る奴は、
映画を語る言葉を持っていないと僕は考えている。

いや、素人がそうやって、
ストーリーにあるエンタメ要素を取り出して語るのは、
構わない。

だが卑しくもストーリーの組み立てに関わろうとする者が、
エンタメ要素のプラモデルでしか映画を語れないのは、
全く意味がないと僕は考える。


前にも批判したが、
日経エンタテイメントが僕は大嫌いだ。
エンタメ要素のありなしや組み技合わせだけで、
映画を評価する流れをつくった、真犯人だと思う。

厄介なのはこれが投資の基準になってしまって、
投資がエンタメ要素のチェックリストでしかなくなったのが、
邦画が凋落している真の原因だと僕は考える。


映画をエンタメ要素だけで捉えるならば、
ギャグ100連発のように、
エンタメ要素を並べて、
チャプターで飛ばせるようにしとけばいいんだよ、

それは映画じゃない。
映像を使ったエンタメリストでしかない。

あ、コンテンツってこういう捉え方だよね。
案件という言い方も僕は大嫌いだ。

案件やコンテンツやエンタメは、
全て作品を番号で管理する、
管理者のやり方だ。

それは人間の背番号制と同じでしかない。
人間をスペックで判断する、
お見合いの釣書と同じくらい、
愚かなことであると思う。
(まあスペック第一関門、
次に性格や内容の審査、という段取りもあるが)



ストーリーとは動きである。
私たちは動いているものを、
止めてしか理解できない。
ダンスを止め絵の連続でしか理解できないように。

だから言葉でストーリーを理解すること自体、
そもそも間違ってるのではないか、
ということすら最近は考えているくらいだ。

しかし言葉でしか我々はコミュニケーションが取れないので、
数行でもそのストーリーを再体験できるような、
ログラインないしテーマが書き下せるのは、
よほどの言葉力がいるなあと、
最近は思っている。

(だから最初にログラインやテーマを書こう、
なんて指導する人は、間違ってると僕は思う。
最初からそんなスパッと書けたら、
もう出来てるってことだからね)


つまり、
エンタメとかいう言葉を使う奴は、
映画がどういうものなのかを分かっていない、
素人の発言なのだよ。

素人は黙ってろ、というつもりはない。

だからここで勉強できるように、
なんとかしてストーリーとはなんぞやを、
頑張って言葉で解説しているつもりだ。
なぜなら私たちは言葉でしか理解ができないからだ。

力及ばずならすいません。

言葉以上の何かでストーリーを理解したければ、
まずは脚本添削SP2018を参考に。
posted by おおおかとしひこ at 13:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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