2018年06月07日

なぜストーリーはプラスとマイナスで考えるのか

必ずストーリーの入門書には書かれていることで、
主人公(や他の登場人物)の前進や後退、
成功や失敗をグラフにしてみよう、
なんてのがある。

僕は「現実には、この要素はプラス/この要素はマイナス、
と多次元で評価されることがあるではないか。
これはわかりやすくする為の方便だな」
と考えていた。

そうでもないんじゃないか。


そもそもこれは、
ストーリー進行を一次元で管理しようということである。
成功か失敗か、幸福か不幸か、
プラスかマイナスか、
上がってるのか下がってるのか。

わかりやすさや強さにつながるから、
一次元で管理すべき、
(野球の試合で「今勝っているのか、負けているのか」
しか気にしないおやじとかいるよね)
ということなのかと、
ずっと考えていた。

そうではなかった。



現実の問題では、
「一歩前進、しかし二歩後退」
「この点では評価できるが、この点ではマイナス」
「このラインは進んでいるが、あのラインは駄目」
なんて複数の軸が進行することがある。

これをうまく描くほうが、
問題の進行をリアルにつくれるはずだと、
誰もがそう思う。

しかしそれは、現実の時間軸であるからそうなのだ。
物語の中の時間軸のあり方は、
現実の時間軸とは違うことを考えてみよう。


どういうことかというと、
物語の中では、
「ひとつの焦点に対して、
一次元で進行する」
という、集中型であるということだ。



現実ではそうではない。
会社の案件が複数進み、
飲みの席での会合があり、
友人と会っている間でもツイッターのチェックをやり、
家に帰っても複数の好きなことの同時進行をしながら、
掃除のことを考えたり、
明日の予定のことを考えたり、
好きな人のことを考えたり、
実家のことを考えたりする。

つまり現実では、
たくさんの複数のストーリーラインが同時進行している。

それを中心から外れたものは採用しないと、
ストーリーラインを絞ったのが、
物語である。

そして、
物語のストーリーラインの数
(総サブプロット数)は、せいぜい3から5だろう。
多いとややこしい話になってしまう。

現実には、10や20が同時進行してもおかしくない。
しかしそれは実時間軸で進行している。
会社のプロジェクトは一か月かそれ以上の単位で進行するし、
ツイッターは24時間進行だが、いつ更新されるかわからず、祭りがあれば秒で更新だ。
実家のことは一生かかるかもだ。
複数の同時進行は、別々の時計を持っている。

しかし物語では、
それをわずかにしぼることで、集中している。
そして二時間という時間でそれを見せる。



現実と物語の時計はなにが違うかというと、
観客の存在だ。


物語は、
観客側に時計がある。

その観客の時計で見られるものなのだ。


つまり、劇場に入り、
暗闇になり、
一幕が始まり、二幕が始まり、三幕が始まり、
暗転してエンドロールになり、
劇場が明るくなる、
その時計で、
物語というのは進行するのである。


現実には締め切りはない。
しかし映画は二時間の観客の時間を限定して使用する。
映画にたとえたが、小説でも漫画でも同じことだ。

特定の時間帯の、特定の時計の進行の間だけが、
物語の時間である。

それは現実の複数同時進行し、それぞれがペースの違うもの、
という構造とは違うのだ。

ありていにいうと、
「観客の時間をどうジャックするか」が物語だ。


そこに、
不特定に流れる、
現実のややこしいバラバラの時間をもってきても意味がない。
せいぜい3から5のストーリーラインに、
うまいこと時計をまとめて絞るべきなのである。

それくらいの数だと、
観客は集中ができ、テンポと展開についてこれる。

そのときにはじめて観客の時計、
「この話は、面白いのか、面白くないのか」
「この話を、集中してみるべきか、そうでないのか」
が、進むのだ。


つまり、主人公のプラスとマイナスに注目して、
ストーリーを一元管理するという脚本の教科書の方法論は、
主人公の人生のグラフなのではなく、
観客ののめりこみのグラフなのだと思うとよい。

もちろん、
成功がのめりこみで、失敗がのめりこみでないわけではない。
成功したら注目して、失敗がスマホを気にする、
というわけではない。

それは結局、面白いか/面白くないか、
というグラフの基礎材料になるだけだ。

もっとも、
初心者の脚本にありがちな、
「今何をやっているかわからない」
「今集中してみるべきなのかどうかわからない」
「状況がみえない」
「進んでんの?後退なの?停滞なの?がみえない」
ということを除去するために、
プラス/マイナスのグラフをつくり、
焦点を集中させるべきだ、
という対症療法は役に立つ。

しかしこのメソッドのほんとうの価値は、
観客を、このプラス/マイナスに集中させて、
面白い(集中している)/面白くない(集中していない)
の時計をコントロールしているか、
というセルフチェックに使う、
ということなのである。


観客の時計は一次元だ。
だから一次元で管理するのだ。

簡単なことだ。

主人公はプラスかマイナスか。
成功しているか、落ち込んでいるか。
そしてそれはどれくらい集中しているのか、退屈なのか。

失敗してても面白くて集中している場合、
成功してても退屈で面白くない場合だってある。


観客の最終的な一次元評価、
面白い/面白くない、
に集約されるために、
ストーリーラインを一元管理しよう。

複数のストーリーラインは進むべきで、
それらが、
あるものは進行してあるものは失敗して、
という現実にある複雑な様相を呈するのはすごくよい。
それはリアリティがある。

しかしそれらが、
どこを切っても、
面白く、集中力が切れないものになっているのか、
という一次元に還元するのが、
観客である。


主人公のプラスとマイナスの表をつくるのは、
観客の気持ちを想像し、
コントロールし、
それができているかチェックするための、
基礎資料に過ぎない。

つまり、世界は脚本世界の中のことではなく、
世界と観客とのかかわりで考えなければならなということである。
posted by おおおかとしひこ at 10:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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