「レディプレイヤーワン」が面白くないという話を後輩としていたら、
後輩はおもしろいと言い始めた。
どこがと聞いたら、最初の街(主人公の住んでるスラム街)
の世界観がいたく気に入ったらしい。
僕は反論した。
あれは「頭の中で作られた世界」に過ぎず、
リアルではないという趣旨でだ。
デジタル製作が危険なのは、
「それがそこに実在する」という、
ごく当たり前の段階を飛ばして、
直接モニタの中に世界を作れてしまうことにある。
勿論、色々考え尽くして、
それがいかにもそこに存在するようにつくれれば問題ない。
しかし、たいていは、
「頭の中で作った世界」に終わってしまう。
たとえば僕の論点。
・あの街に虫やネズミはいないのか?
廃車の山の中に雨が溜まれば蚊が湧くだろ。
蚊が湧けばそれを捕食するクモやムカデが来るだろ。
犬や猫はどうなってる?
そういえば鳩や烏もいなかったね。
(虫除けの、店の外にある紫外線バチバチやるやつもなかったよな。
住人のおばちゃんも窓開け放しだった)
・カビは生えないの?雑草は?花が咲けば蜂やらが来るはず。
・あの建物の登りはどうなってるのか?
ハシゴだろうか? だとすると相当面倒だ。
(たとえばむき出しのエレベーターがあって、
誰かとすれ違う描写があの中であっても良かった)
で、ハシゴのみとすると、上は人気がなくなり、
下ばかり建て増ししていって、山形になるんじゃないの?
綺麗な塔のようにはならないよね。
(ついでに塔と塔を結ぶ空中回廊があっても良いよね)
・ドローン配達網だとして、食事はどうしてる?
どこで生産してる何を食べてる?
給水塔なかったから、上の階での風呂や飲料水はないよね?
・グラフィティなどの落書きがないのは変だよな。
・誰の家がどこにあるのか管理されていないようだから、
だとするとブラジルのファベーラのように、
地域でのまとまりとまとめ役(マフィア)がいるはず。
そんな描写がなかった。
・あの街はどこからどこまであるの?
チェイスをした普通の街とかもあったけど、あの街だけ特殊過ぎない?
全部があんな感じなら納得できるけど、そうじゃなかった。
じゃあ境目はどうなってんの?
ここからこの街、みたいな柵があるの?
カットが変わったらここ、ってのはご都合だよね。
これらが納得がいくようには作られていなかった。
勿論、ひとつひとつに逐一答えてほしいわけではない。
これらのどれかがあれば、
「そこに実在する感じ」が味わえたのに、
それらが欠落していることで、
「頭の中でだけ考えた、
実在性の薄い、エセファンタジー」に見えたことが、
問題だと思っている。
もちろん、
人物がCGだったら、
背景もCGだからどうだっていいや、
と思っただろう。
人間がそこに生きているから、
そういう、人間に付随する何かが、
とても気になった。
そういえばティッシュのひとつもなかったような。
VRやCGに欠けているのは、そこだ。
頭の中で作ったような世界になってしまっていて、
そこに実在する感じが薄いのだ。
ここで何年も人々が暮らしていることを想像できず、
5分前に出来上がったような感じがするんだよね。
街ってのは、
あなたの街を見ても分かるように、
古い建物と新しい建物が混在している。
それだけの歴史があるからだ。
あの街は出来て100年も経っていないかな。
どうだろう。
広大だったから、割と経ってると思う。
にも関わらず、トレーラー的なものも、
骨組み的なものも、あまりにも均一でびっくりした。
ヨーロッパの石造りならわかるけど、
雨ざらしのトレーラーハウスなんて、
5年ものと10年ものと50年ものは、
随分違う風だろうに。
鉄骨部分だってもう崩れそうな、錆の酷い部分と、
まだ新しいところもあるだろうし、
溶接しまくったところもあるはずだ。
道路工事しまくったアスファルト面のような感じが、
どこにもなかった。
そういう、街として当然なことがあまりないのも、
頭の中でちょっと考えて作ったことに見えた。
頭の中で考えたことを、
コンピュータの中につくる作業は、
そうやって外の世界を忘れさせてしまう効果がある。
コンピュータの中にのめり込み過ぎて、
そこと自分だけになってしまいがちだ。
ほんとは、コンピュータの外の、
実在の世界に住んでる人に見せるものなのに。
人物がCGだったりパペットだったりすれば、
まああの街も良く出来たCGだったろう。
(ちょっと見飽きたビジュアルで、新鮮ではなかった。
あの手のものならば、「ロストチルドレン」が一番かな)
リアリスティックにしてほしいのは、
人間がそこにいるからだと思う。
彼らが生きて生活して、
抜け出したくても抜け出せない、
ディストピアには、
全く見えなかった。
ソニックザヘッジホッグのステージのひとつにしか、
僕には見えなかった。
CGは、モニタの中でしか存在しない。
頭の中で自己完結してしまう。
それが閉鎖を生んでいる気がする。
VRの街にはゴキブリも蚊もいないし、
ゴミ箱とかもないんだろうな。
見栄えだけの世界観なんて、ただのハリボテじゃないか。
https://www.amusingplanet.com/2018/08/photographer-uses-drone-to-capture.html
勿論知っていて書いています。
一昨年ブラジルのいわゆる貧民街、ファベーラをメインに撮影する仕事がありまして、
そのスラムっぷりにビビっていたのですが、
想像した以上に掃除が行き届いてびっくりしました。
かつての日本のように隣組がしっかりしていて、
ルールを守るように徹底していることがわかります。
我々外国人が入ってきただけで、
ガンガンクレームが来ますからね。
そういう生活感のようなものがないので、
縦に積まれたトレーラーハウスの街は、
頭で考えただけのハリボテだなあと感じました。
「そこで死ぬまで生活する感覚」というのが映画内に希薄なのが問題です。
それは「複数の(似たようで少しずつ違う)考え方がある」
という世界の基本を描いていないからだと思いました。
「世界に一人しかいないくて、残りはNPC」
っぽいのが、主人公の街にずっとあった。
「現実の方がCGっぽいよね」という逆転の構造を狙ってるわけでもなし。
食事とゴミの捨て方を描くだけでディテールは増すのに、
と思いながら見ていました。
(ドローン配達ピザを捨てるときにどうするのかを描くだけで、
「この街はこう循環しているんだ」と想像がつく)
あと貧乏な地域は土地だけはあるから、
ふつう高くはならない。
なのに縦に積んでいる理由を知りたかったですねえ。
(ファベーラの場合、来にくい山を切り開いているから縦に伸びる)
そこにひとつもっともらしい理由を作るのがフィクションというもので、
その遊び方に徹底さが足りないことを、
あの映画に関しては批判しています。