2018年06月11日

係りと結び

結局のところ、
ストーリーってのは、
「最初に前振ったことが、最後にうまく回収される」
がどう出来てるか、
を作ることなのではないかと考えている。

つまりは係りと結びである。


勿論、
興味深い引き込めるシチュエーションや、
どうやって解決するのだろうという新しい問題や、
面白いツカミや、
キャラクターや、キャラクターの組み合わせや、
グッと来るエピソードや、
面白いシチュエーションや、
笑いや泣きや、深みや、
テンポや、
展開の面白さや、
ツイストや、
世界設定や、
セリフの妙や、
ドキドキやワクワクや、
静かな部分や賑やかな部分や、
明るい部分や暗い部分や、
緩急や、
大敗北からの大逆転や、
あっと言わせる要素や、
成る程と膝を打たせる心憎さや、
展開の上手さや、
視線や感情の誘導や、
クライマックスやカタルシスの白熱など、
大事なことは沢山ある。



が、
これらがいかにうまくいったとしても、
「結局それはなんやったん?」
が抜けていると、
なにものでもないのだと、
僕は考えている。

それには結局、
「これは最終的にこうなるものですよ」
という予感や暗示、すなわち係りがあり、
「これは最終的にこういう意味でした」
と、その係りが結実する結びが、
必要だということだ。


それは、後付けでつくれるのだろうか?

テーマを最初に作ってからディテールを作っていけ、
という方法論は僕には疑問だ。

なぜなら、
この究極の係り結びが最初から出来るのであれば、
ストーリー作りなど学ぶ必要がないからだ。

大抵の場合は、
無意識に答えがある。


何かを書こうとして書き始め、
テーマらしきものを匂わせたストーリーを、
書き直す時に、
「自分はこういう意味のことを書きたかったのだ」と、
再認識して、
出来ていない係り結びを、
出来ている係り結びに、
上手に変更していくことで、
それはようやく達成されるような気がしている。


それは恐らく、
主人公の抱える欠乏、渇き、闇のようなもので、
係りとして提示されるはずで、
ストーリー全体を通して、
それがどのように昇華されたのか、
ということが、
最終的な結びになってくるはずだ。

つまり、係りと結びは、
ペアで、
ストーリー全体を一つのものにまとめるのである。


それがばればれすぎず、
予測し切れないほどエキセントリックすぎず、
の、うまいところに落とし込んで行けるのが、
面白いストーリーになるような気がしている。


ストーリーは落ちが大事だ。
しかしその結びは、係りありきである。

どう係り、どう結ぶかが、
そのストーリーを決定づける。


論文なら簡単だ。
アブストラクトとサマリーで挟めば良い。

ストーリーは簡単ではない。
事件と解決のリアルな時間軸の中で、
やらなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 11:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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