結局のところ、
ストーリーってのは、
「最初に前振ったことが、最後にうまく回収される」
がどう出来てるか、
を作ることなのではないかと考えている。
つまりは係りと結びである。
勿論、
興味深い引き込めるシチュエーションや、
どうやって解決するのだろうという新しい問題や、
面白いツカミや、
キャラクターや、キャラクターの組み合わせや、
グッと来るエピソードや、
面白いシチュエーションや、
笑いや泣きや、深みや、
テンポや、
展開の面白さや、
ツイストや、
世界設定や、
セリフの妙や、
ドキドキやワクワクや、
静かな部分や賑やかな部分や、
明るい部分や暗い部分や、
緩急や、
大敗北からの大逆転や、
あっと言わせる要素や、
成る程と膝を打たせる心憎さや、
展開の上手さや、
視線や感情の誘導や、
クライマックスやカタルシスの白熱など、
大事なことは沢山ある。
が、
これらがいかにうまくいったとしても、
「結局それはなんやったん?」
が抜けていると、
なにものでもないのだと、
僕は考えている。
それには結局、
「これは最終的にこうなるものですよ」
という予感や暗示、すなわち係りがあり、
「これは最終的にこういう意味でした」
と、その係りが結実する結びが、
必要だということだ。
それは、後付けでつくれるのだろうか?
テーマを最初に作ってからディテールを作っていけ、
という方法論は僕には疑問だ。
なぜなら、
この究極の係り結びが最初から出来るのであれば、
ストーリー作りなど学ぶ必要がないからだ。
大抵の場合は、
無意識に答えがある。
何かを書こうとして書き始め、
テーマらしきものを匂わせたストーリーを、
書き直す時に、
「自分はこういう意味のことを書きたかったのだ」と、
再認識して、
出来ていない係り結びを、
出来ている係り結びに、
上手に変更していくことで、
それはようやく達成されるような気がしている。
それは恐らく、
主人公の抱える欠乏、渇き、闇のようなもので、
係りとして提示されるはずで、
ストーリー全体を通して、
それがどのように昇華されたのか、
ということが、
最終的な結びになってくるはずだ。
つまり、係りと結びは、
ペアで、
ストーリー全体を一つのものにまとめるのである。
それがばればれすぎず、
予測し切れないほどエキセントリックすぎず、
の、うまいところに落とし込んで行けるのが、
面白いストーリーになるような気がしている。
ストーリーは落ちが大事だ。
しかしその結びは、係りありきである。
どう係り、どう結ぶかが、
そのストーリーを決定づける。
論文なら簡単だ。
アブストラクトとサマリーで挟めば良い。
ストーリーは簡単ではない。
事件と解決のリアルな時間軸の中で、
やらなければならない。
2018年06月11日
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