2018年06月14日

急に何もかもがばかばかしくなる時がある

ふと我に返る。
それは大抵途中まで作った作品だ。

あれ?これ何がいいんだっけ?
全然何にもなってないよ。
ていうかこんなのをいいと思ってた自分が恥ずかしい。
封印だ。

こうして、その作品は完結まで書かれない。

僕は、それでもなお「終わり」まで書くべきだと考える。

なんなら、想定していたラストシーンを、
その最後に付け加えて、今日完結させてみたまえ。
それであなたの執筆の、苦しい旅はとりあえず終わるから。


その作品が成功か失敗か、
それは完結するまでなんとも言えない。

これはこれで失敗作である、
そう認めるのをあなたが怖いだけだ。

失敗作であると確定すれば、
その原因を調査し、
次どうだったら成功だったか考えるとよい。

簡単だ。
あなたはクソ作品を見たときに、
「もっとこうするべきだ」と考えるだろう?
それをやるだけでよい。

あなたの見立てが正しく、
そしてあなたの筆力があるならば、
そのクソ作品はたちまち名作に生まれ変わるだろう。


しかし、それを実際にやることはとても困難だ。
「脚本添削スペシャル」で毎年示しているように、
「書き直し」という行為は、
「ほとんど全文書き直す」ことである。

勿論他の人が書いた作風のを、
僕の作風のものに書きなおさざるを得ないから、
どうしてもそうなってしまう。
その人の好みと僕の好みも違うし、
その人の考えと僕の考えも違う。
毎回のリライトは、ベターではあると考えるが、
ベストだという保証も証明もない。


リライトは、
ベストになる保証も証明もない。
ベターになることは可能だ。
だから極端にいうと終わりがない。


だから、
自分でゴールを決めるとよい。

〇〇の部分がイマイチだったから直したい、
ワクワクするところをもっとワクワクするように、
悲しい部分をもっと悲しく、
コントラストをもっと対比させて、
伏線を直したい、
などなどなどだ。


それは、紙に書いて、「リライト目標」と書いておく。
それが全部出来ればリライト完了だ。

あなたはどういう話が書きたかったのか?
どういう話が理想的なのか?

それを思い描き、
現状と何が違うかを分析する。

そして、ゴールに行くためには、
どういう手術が必要か具体策を練る。


基本はその繰り返しだ。



何もかもばかばかしくなるのは、
その理想に対して、
今の力が全然足りてなくて、
絶望したときだろう。

100に対して、
これだけやったのに2とか3だったら、
何もかもやめたくなるのは当然だ。
85は行ってたと思ったら45ぐらいだったときは、
もう封印しようと思ってしまうものだ。

コップに半分水があるとき、
半分くらいないと思うか、
半分あると思うかの違いである。

ポジティブに考えれば、
2だとしても98をやればよいし、
45ならあと55やればよい。

それだけのことである。



あなたは何の為にそのストーリーを書いているのだろう。

自分の名誉欲を満足させる為だろうか?
俺すげえと自慢したい為か?
他の人に認められたいからか?
売れたいからか?
歴史に残りたいからか?
コンプレックスが強く、これだけしか自信がないからか?

なんだって構わない。
それは、作品を作る根本的なリビドーになっているから、
それ自体は否定しない。

しかしながら、
「この面白いストーリーを、ちゃんと書き終えたい」
という、
全く別の欲があることも、
あなたは知っているだろう。

他人や自分の賞賛という、世の中の文脈と全く違うところでの、
「作品欲」とでもいう欲。

僕は、
それに従うとよいと思っている。


思ったより面白くなかったら、
もっと面白くなるように、
要素を足したり引いたりして、
さらに良くすればよいのである。

それは、途中でやってはいけない。
完結させて、
リライトの時にやるべきだ。

なぜなら、途中でやると、
途中まで書く→書き直したくなる
→その続きを書く→書き直したくなる
→…のループになり、
書き直しの時間の方がかかってしまうからである。

(FSSはその泥沼にはまったと思う。
エルガイム外伝から始まったものが、
ドラゴンやら魔導やらを足し始めて、
ゴティックメイドって)


初期衝動なんて数ヶ月も持たない。
そのうちに、まずは完結させることだ。

本文全部を数ヶ月で作れないならば、
プロット(全ての行動を決めて、因果関係を整理すること。
だいたいではなく、「全て」)だけは、
完結させておこう。

何年かかってもそれは書くべきだという情熱は、
その数ヶ月以内に確定する。


人は冷める。
数ヶ月も初期衝動は持たない。

だから、書いてる途中に我に返ることは、
まれによくある。

だから、放り出すのではなく、
次にラストシーンを書いてでも、
無理矢理完結させるのだ。


駄作として丸めて捨てても良いし、
いや捨てるには惜しい、
こうすれば生まれ変わるかも、
とリライトを始めても良い。

未完結な中途半端になることだけは、
避けられる。



連載形式はこれが出来ないので、良くないと思う。
完結作品単位の脚本は、
それを避けられるのでオススメだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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