ストーリーとは、
何かが起こることだ。
それは、誰によって起こされたものか?
主人公以外が主語の場合、「起こる」という見え方になる。
主人公が主語の場合、「起こす」になる。
そして、もう予測はついているとは思うけど、
「起こる」よりも、
「起こす」のほうを多くする必要がある。
そうでなければ、
主人公はただ流されるだけの、
主体性のない人になってしまう。
人生とは主体性のことである。
逆にいうと、
ストーリーとは、
主体性のある人生をどれだけ生きたかを描くものである。
だから主人公は行動によって生きる。
つまり何かを起こす。
この場合、先手を打って何かを起こしてもよいし、
後手を引いて、リアクションという形で、
何かを起こしてもよい。
初めからいきなり何かを起こす人はなかなかいないから、
大抵の場合、
主人公は最初誰かに何かをされる。
あるいは偶然何かが起こる。
それに対する反応やリアクションとして、
何かをする。
それによってまた何かが起こり、
それに対して主人公は何かを起こし…
というふうに、雪だるまは転がり始め、
ストーリーが転がって行く。
もちろんこれは典型的なものだから、
例外のパターンを考えても構わない。
で、
何かを起こしたからには責任が付きまとい、
最終的にはケツを持たなければならない。
それが落ちという形に結実するのである。
メアリースーに取り憑かれていると、
主人公はなにもしない。
あらゆることが起きて、
おろおろ右往左往しているだけで、
大事なところはだれか他の人がやってくれる。
つまりそれは自分で責任を取りたくない、
作者の臆病の反映だ。
僕は自分を主人公にしてはいけないと言う。
あなたが臆病だろうがどうでもよくて、
フィクションの中の主人公が、
何もしなくて怯えているだけなのは、
詰まらないということを言おうとしている。
それは「起きる」のか?
「起こす」のか?
何が起きるのか?
何を起こすのか?
次に何が起きるのか?
次に何を起こすのか?
その連鎖は何ターンやりとりするのか?
それがストーリーである。
途中で書けなくなったら、
「次、何が起きる?」と自問自答するとよい。
あるいは、
「次、(主人公は)何を起こす?」と問うても良い。
また、
何かが起こる、主語は、人間とは限らない。
天候や偶然が主語になることもある。
動物のこともある。
誰もが誰ものことを考えた結果、
俯瞰で見るとまるでそれらが集団として意思を持っているかのように、
振舞うこともある。
空気が集団の行く末を決めることもある。
ストーリーに詰まったら、
人、または別の何かが、
何を起こす/何が起きるのか、
で考えると、
次への突破口が現れるように思う。
2018年06月15日
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