2018年06月15日

マネタイズ、実力、人気

「お金になる」とはどういうことだろう。
売りがあるとかないとか、どういうことだろう。
ちょっと真剣に考えてみる。
結論からいうと、
「面白さと人気は関係ない」と、
極論することができるのではないか?という過激な論考である。


僕は面白いのが好きで、
そういうものばかりをつくってきたつもりだ。
面白いにもいろいろあるが、笑いだけでなく、
感動や知的興奮や興味深いも、
面白いの一部であると考えている。

脚本はそれの設計の最たる部分のことで、
だからガワにごまかされない、
最も面白さの核をつくる段階だと思っていて、
ガワはあとに被せるべきものであると、
ずっと考えている。

ところが。
ここに、人気や、マネタイズというファクターが絡んでいるところが、
話がややこしくなる原因だ。


金になる、マネタイズできるとはどういうことだろう。

僕は、極端にいうと、
「中身を理解するまでもなく人が飛びつくもの」
ではないかと考える。

つまり、それ以前に価値があるものが、
そこでも味わえる保証があるものが、
人気であり、マネタイズであると。

たとえば、
スナックのカレー味を考えよう。


新しい味のスナックの開発をしたとしよう。
それは食べなければ味がわからない。
だから売れるかどうかは不明だ。
食べられなければ、その価値がわからないからだ。

これに比べて、カレー味は強い。
カレーはすでに知っている。
しかも人気だ。
だからカレー味があれば、
とりあえず買うだろう。

これがマネタイズの真実ではないかと、
僕は考えている。


カレーを食べたことのない人はほぼいない。
カレーの体験は、
ここではない別のところで済ませている。
今回新しい経験が欲しいわけではない。

カレーの体験とわかっていて、
人は金をだす。

人が金を出すときの心理を考えるとわかる。

人は、納得したことにしか金をださない。
わからないものに金を出す者は、
ギャンブラーという。


新味のスナックが出るとき、
カレー味と新味のどっちが売れるか。
かつ、すぐに売り上げるか。
かつ、人がすぐに納得して金を出すか。

カレー味だ。

だからカレーは「人気」である。


人気は、その場で作られたわけではない。
以前にある評価が、その場でも適用されるだけである。

カレーを食べたことのない人が、
カレー味をそこで初めてチャレンジする確率より、
カレーをすでに食べた人がいて、
そこでまたカレーを欲する人の確率のほうが、
はるかに多い、
ということがマーケティングの本質だ。

マーケティングは未来のデータがない。
あるデータはすべて過去のものであり、
過去と同じことが起こるという確率に賭けることである。
ギャンブラーではない。


だから、
今現場では、
「それはマネタイズ出来るのか」
ばかり言われるようになった。

ん?新しいものをつくるんじゃないのか?
すでに売れたカレー味を連れてくることが、
ビジネスになってしまったのか?

人気ユーチューバーをつかおう。
受けた映画やPVを真似しよう。
すでに成功しているびっくりギミックを、ここでも使おう。

それは、マネタイズできる。

それで初体験をするのではなく、
すでに人気だからである。


つまり、
人気をここで作ろうとしているのではなく、
すでに何かあるものに乗っかれるかどうか、
カレーがそこに入っているかどうかが、
売りがあるとかないの、基準だ。


つまり、
「売れそうかどうかの基準」は、
かつて売れ線だったものか、
今売れ線にあるものの中にしか、
答えがないのである。

それはクリエーターが一番バカにするものだ。

あなたはクリエーターで、
新しいカタルシスや面白さをつくろうとしている。
それと、真逆の要素が、
売りとか、マネタイズとか言われているものの正体なのだ。



今人気のクリエーターは、
実力ではなく人気で選ばれている。

人気があるから面白い、
ということになっている。
流行とはそういうもので、だから一発屋とかがたくさんいるわけだ。

そして、残念なことに、
これはスタッフ選びに影響している。
人気のある人が、実力と関係なしに、
呼ばれ続けている。
人気があるから人気なのだ。


視聴率至上主義、マーケティング至上主義は、
要するに、
「人気のある人を集めて、人気をつくる」の、
マッチポンプしかしていない。
人気がなくなってきたら、
「新しい人気者を連れてくるか、打ち切る」
しかしないということ。

面白くないものを面白くしようと工夫したり、
ここで新しい面白さを開発しようとしていないということだ。


何故か?
見る目がないからだ。

そして、自分が価値があると思ったものを、
他人に上手に勧めることができないからだ。
そして、それでブームの輪を広げることができないからだ。

それをやるには地味な運動が必要で、
それよりもカレー味を連れてきたほうが、
誰でも出来るし、手っ取り早いのである。

つまり、
売りが必要とか、マネタイズできるとかは、
「誰がやっても売れる」(担当が変わっても商売ができる)
ということを言っているのだ。


もちろん、いつものとおりの極論である。



で。

実力を示すには、
全国レベルの、世界レベルのコンテストで、
優勝かそれに準ずる成績を上げなければいかず、
人気を出すには、
ローカルで人気をつくっていくだけで呼ばれる。
極論すれば、界隈で人気な人だけが呼ばれ続ける。

もう一度何故か問うと、
見る目がないからだ。

ブランド信仰と同じだね。

もちろん、
界隈には見る目がある人もちゃんといて、
だからどうにかして面白いものをつくろうとしている。
しかしその上の人がマネタイズできないと言ったり、
スポンサーにマネタイズを説明できないと言われ、
へこんで帰ってくることが多い。

それがこの十年だったと僕は思っている。


SNSがその流れを、決定的にしてしまったように思う。
人気があるから見られ続ける。
バズるからバズる。
それだけだ。

工学的には、ポジティブフィードバック現象といい、発散する。
現実には有限なので、発散は途中で止まる。


ここに切り込むには、
実力でトーナメント優勝しなければならない、
という、
我々にとって最悪に難しい状況になっている。
一回戦突破では難しくて、優勝しなければならないという。

あるいは、実力があるのなら、
まず人気者にならなければいけない、
ということを課せられている。

我々はたいていコミュ障で、
人気のあるやつからは、距離を置いて生きてきた。
だから膨大に作品を見てこれたのだ。
膨大に時間を使う、創作を始めたのだ。

それがいまや、キャストと同じことをしなければいけない、
というのが、
現代の闇である。


トーナメント優勝か、人気者か。
新しい革命か、カレー味か。
二者択一で、マネタイズだ。


もはや、
マスコミュニケーション
(マーケティングをベースにした)で、
新しい作品は出てこないような気がする。

ネットフリックスのオリジナルドラマなどは、
カレー味ばかりになってしまったハリウッドに、
ノーを突き付けているように思う。


我々は、いつかどこかに行かなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 15:07| Comment(3) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
文中でも指摘されていますように、これからのクリエイターはまずカレー味のスナックを作って金を稼いでから新作スナックを作ることをしないといけないんだなと思います。

もちろん最初から新作スナックを作れる金と人脈があるならそれが一番ですが現実はそうじゃない。

なら最初にカレー味スナックで人気と金を増やさないと新作スナックは作れないよっていう状況。


ネットが発達したことにより
コミュ障だから人付き合いが嫌だとか
カレー味は俺の作りたいものじゃない
新作スナックが作りたいんだ!
…なんて甘えてる場合ではないのかもしれませんね。

正直キツいんですけど自分はここ数か月で
このような思考になったので
(ホントは新作スナック作りたいけど)
とりあえずしこしこカレー味のスナックを作る選択をしました。
Posted by kyky at 2020年03月24日 11:52
>kykyさん

カレー職人にならないよう、
本当にやりたいことは時々やることをお勧めします。
GWとか夏休みとか、
ガッてやれる時を確保して、
自分の全力疾走をやり、実力の底上げを常にしておくことを勧めます。
それをやめた時、カレー職人として生きていくことになるので。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月24日 15:17
ご忠告ありがとうございます。

心の奥底には持っておきたいと思っています。
Posted by kyky at 2020年03月24日 23:06
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