2018年06月18日

一幕の特権

一幕は、やっぱり特殊なパートだと僕は思う。
書けば書くほど難しい。
さっさとセットアップしなきゃいけないし、
淡白で興味が持てなきゃ意味がない。

で、
一幕だけが持つ、特殊な空気がある。
それは、
「一体これはどのような話か?」という疑問とともに、
観客が見ている、ということである。


オープニング(インサイトインシデント)が終わり、
主人公がだれか分かり、
なにかのシチュエーションに巻き込まれ、
何がしかの反応をしている時。

まだストーリーは、
ある程度の方向性がありながらも、
完璧な方向性を見せ切れていない。

つまり、
「これはこのような話なのである」が、
まだ見えていない。
全貌が予測できない状況だ。
(見えるのはセンタークエスチョンが提示される、
第一ターニングポイントだろう)


だから難しい。
徐々にベールを剥がし、
常にそのたびに興味をそそらなくてはならない。

逆にこれは、一幕だけの特権だと僕は思う。

「一体これはどういう話なのだろう?」
というのは、強烈な興味のヒキを、
上手に利用して、
ベールが剥がれつつも、
全体が想像できる楽しみを与えなくてはならない。



観客はこれを見ながら、
「一体これはどういう話なのか?」を考える。
つまり、
「これは結局こういう話になるのだろう」
「〇〇のパターンだな」
「〇〇に似ているな」
「きっと最終目標は〇〇で、〇〇という試練があるのだろう」
「ざっくりこういう展開になるな」
「こういうオチになるんじゃね?」
などなどを、
予想しながら見ているということだ。

今惹きつけられている要素を入力しながら、
その予想を補正しながら、
観客は見ている。

ということは、
その予想を上回る撹乱を与えると良いわけだ。


そうすると、混乱があり、
さらに興味があるという前提のもとでは、
よりストーリーに惹きつけられ、
中にぐいっと入ってくることになる。


つまり。

一幕の特権とは、
「予想を裏切り続けて、
風呂敷を広げていけること」だ。



問題は、
ベールがだいぶ剥がれて、
全貌が明らかになったころ、
その全貌が想像しよりショボい場合だ。

ベールを被ってた時のほうが面白かった、
ということは、
割といくらでもある。

ファイアパンチは一話がもっともベールを被っていて、
一番面白かったねえ。
もう30年以上前になるが、
ガンダムの続編としてついに始まったZガンダム、
オープニングのシルエットのΖをずっとたのしみにしていたが、
実際に現れたら「あれっ」ってなったのを覚えている。
(大河原デザインでなくて永野デザインだったのもあるだろうね)


ベールはうまく剥がそう。
予想通りに、意外性を持って、
予想を超えてだ。
コレジャナイになったら最悪だ。


一幕の特権は、
それをうまくコントロール出来るチャンスが何回もあることで、
一幕のリライトとは、
まさにそこがポイントになってくるのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 13:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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