一幕は、やっぱり特殊なパートだと僕は思う。
書けば書くほど難しい。
さっさとセットアップしなきゃいけないし、
淡白で興味が持てなきゃ意味がない。
で、
一幕だけが持つ、特殊な空気がある。
それは、
「一体これはどのような話か?」という疑問とともに、
観客が見ている、ということである。
オープニング(インサイトインシデント)が終わり、
主人公がだれか分かり、
なにかのシチュエーションに巻き込まれ、
何がしかの反応をしている時。
まだストーリーは、
ある程度の方向性がありながらも、
完璧な方向性を見せ切れていない。
つまり、
「これはこのような話なのである」が、
まだ見えていない。
全貌が予測できない状況だ。
(見えるのはセンタークエスチョンが提示される、
第一ターニングポイントだろう)
だから難しい。
徐々にベールを剥がし、
常にそのたびに興味をそそらなくてはならない。
逆にこれは、一幕だけの特権だと僕は思う。
「一体これはどういう話なのだろう?」
というのは、強烈な興味のヒキを、
上手に利用して、
ベールが剥がれつつも、
全体が想像できる楽しみを与えなくてはならない。
観客はこれを見ながら、
「一体これはどういう話なのか?」を考える。
つまり、
「これは結局こういう話になるのだろう」
「〇〇のパターンだな」
「〇〇に似ているな」
「きっと最終目標は〇〇で、〇〇という試練があるのだろう」
「ざっくりこういう展開になるな」
「こういうオチになるんじゃね?」
などなどを、
予想しながら見ているということだ。
今惹きつけられている要素を入力しながら、
その予想を補正しながら、
観客は見ている。
ということは、
その予想を上回る撹乱を与えると良いわけだ。
そうすると、混乱があり、
さらに興味があるという前提のもとでは、
よりストーリーに惹きつけられ、
中にぐいっと入ってくることになる。
つまり。
一幕の特権とは、
「予想を裏切り続けて、
風呂敷を広げていけること」だ。
問題は、
ベールがだいぶ剥がれて、
全貌が明らかになったころ、
その全貌が想像しよりショボい場合だ。
ベールを被ってた時のほうが面白かった、
ということは、
割といくらでもある。
ファイアパンチは一話がもっともベールを被っていて、
一番面白かったねえ。
もう30年以上前になるが、
ガンダムの続編としてついに始まったZガンダム、
オープニングのシルエットのΖをずっとたのしみにしていたが、
実際に現れたら「あれっ」ってなったのを覚えている。
(大河原デザインでなくて永野デザインだったのもあるだろうね)
ベールはうまく剥がそう。
予想通りに、意外性を持って、
予想を超えてだ。
コレジャナイになったら最悪だ。
一幕の特権は、
それをうまくコントロール出来るチャンスが何回もあることで、
一幕のリライトとは、
まさにそこがポイントになってくるのではないだろうか。
2018年06月18日
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