2018年06月20日

リライトと人格の統一

キーボード配列の記事ではなく、
脚本論として、qwerty配列の問題を取り上げる。

なかなかきちんとまとまった記事があったので。


ことばの疑問
パソコンのキーボードは,なぜABC順・五十音順ではないのですか
2018.06.15 安岡孝一
よくあることばの質問
https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-35/


これを見ると、
最初は
「アルファベット順で使いやすくし、
しかも母音だけ上段に集めた」
というコンセプトのなかなかの配列が、
色々な思惑で、
何回か波状攻撃を受け、
次第に変わっていったことがわかる。

これは、
「第一稿と、リライトの関係に似てね?」
というのが、
脚本論で取り上げた意義だ。


なぜそのコンセプトを幾度も曲げて、
第n稿に改悪してゆくのだろうか?
それは、第一稿のコンセプトを、
生かそうと改良していないからではないか?


1「アルファベット順で使いやすくし、
しかも母音だけ上段に集めた」

2「Iと8を近く、ZSEを近く」
(すでに1のコンセプトは半ば否定)

3「IOを隣に、ERを隣に」
(母音上段のコンセプトは守れたが、
アルファベット順のコンセプトは崩壊)

4「特許料を払わないためにMの位置を変える」
(もはや1に対する反コンセプトですらある)

という、
1がどうやってメタメタになっていくか、
順を追ってわかるというものだ。


これは、我々のダメなリライトそのものではないか。


部分で改良した気になって、
全体を改悪している。

しかも手を入れるたびに、
コンセプトを統一していない。

出来上がったのは、
部分部分のキメラだ。

統一的なコンセプトなど、ボコボコに失われている。



では良いリライトとはどのようなものか?

1のコンセプトを書き下す。
それが、どのようなコンセプトに基づけば改良になるかを、
短い文で言いあらわせるようにする。
前のものを完全に含む必要はない。

それが思想として進歩していれば、
コンセプトとして進化し、
最初よりよくなったと言えるはずだ。


たとえば。

1「アルファベット順で使いやすくし、
しかも母音だけ上段に集めた」

2「よく使う母音は中段とした。
その他はアルファベット順」

3「アルファベット順は諦めた。
よく使うものを中段、真ん中に集める」

4「よく使うものとは、単音ではなく、
連続したもの(ER、GHなど)のことであり、
それらをなるべく中央に集め、
運指を合理化する」

などのように「考え方が」進化していくべきだ。



「大体は良く出来ているから、
そこは大体残して、
気になる部分だけ直そう」は、
良いリライトにはならない。

一箇所しか直さないならそれで良いかもしれないが、
二回以上メスを入れたら、
上のような例になってしまう。

つまり、つぎはぎのキメラになる。


良いリライトとは、
「コンセプト自体を進化させて、
そのコンセプトに忠実に部分と全体が機能する」
であると僕は考える。

もし多少気になるところがあっても、
「より良いコンセプトに進化しない」、
つまり同程度にしかコンセプトが良くならないのなら、
そのままでいい、と僕は考えている。

つまり、
qwerty配列でいえば、
二稿でやめられないのなら、
一稿に戻せばよかったのだ。
あるいは、全く新しいコンセプトで、
再設計すべきだったのだ。

1改の2と、新3で、
どっちが良いかを考えればよく、
2改の3、3改の4…という深みにはまるべきではなかったのである。

今見ても、今の糞qwertyより、
1の方が良いと思うよ。



問題は、
1の設計者と、
違うベクトルによって、
コンセプトが曲げられていったことにあると思う。

これは脚本でも良くあることだ。


最初に立てたコンセプトは、良いのか?

そこが議論されるべきで、
細かい気にくわないところなんてどうでも良いのに。



リライトを知らないやつが、
こうしてコンセプトを台無しにしていくんだね。
posted by おおおかとしひこ at 00:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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