小説と脚本の違い。
脚本は三人称形である。
小説は三人称形の文章に、
別のものを地の文に混ぜても良い。
(原理的には良くないのかもだが、実質OK)
その代表的なものは、
「彼は〇〇と思った。」というものである。
具体例を。
「今夜はカレーにしようと思った。」
これは三人称形ではない。
思う内容は、外に出てこないからである。
舞台演劇を想像しよう。
役者が板の上にいる。
歩きながら考える。
あるいは、椅子に座りふと窓の外を見る。
それでその男が、
「今夜はカレーにしようと思った」と、
我々は理解できるだろうか?
勿論否だ。
しかしこのようなことは、小説では日常茶飯事だ。
映画は小説よりも舞台演劇に近い。
小説では、
「窓の外を見ると、雲が一筋流れていた。
今夜はカレーにしようと思った。」
と書くことが可能だが、
演劇や映画では、
「彼は窓の外を見る。雲が一筋流れている。」
までしか表現できない。
役者がエスパーで、
観客の頭の中に、思っていることを伝えられない限り。
では、「今夜はカレーにしようと思った」は、
演劇や映画ではどのように表現するのか?
たとえば。
スーパーで、
肉やジャガイモやニンジンを買い、
ラッキョウを買うことで、表現するのだ。(間接表現)
とどめにカレー粉を買っても良い。(間接表現の中の決定的要素)
これは、「今夜はカレーにしよう!」
と独り言を言う直接表現に対して、
間接表現である。
間接表現は、それを直接使わないことが肝だ。
だから、「カレー粉を買う」なんてことを入れずに表現する方が、
粋というものである。
間接表現は、時に「分かりにくい」と言われる事がある。
それはある程度の読解力が必要だからで、
それは馬鹿には通じないものだからだ。
どの程度のバカが見るものか、
どの程度の文化レベルの人が見るものかを、
映画は想定しない。
基本的に、バカから天才まで見るものである。
だから、殆どのところは分かりやすく直接表現にしておき、
キモになる部分だけ、
文化度の高い間接表現にするのが良い。
ストレートにいうよりも、
婉曲表現の方が心に刺さる。
バカはストレートしか理解できないので、
この辺の綱引きが重要になってくる。
(そして間接表現ばかりになってしまっている時に、
まさかのどストレートは効果的だ)
さて、
ここまで回りくどいことを考えないと、
映画においては、
「今夜はカレーにしようと思った。」は、
表現できない。
逆に、そこまでコストをかけてまで、
彼の思うことを表現する意味がなくなってくる。
つまり、
映画では余計なことは思わない。
「思う」という表現コストをかけてまですることは、
よっぽど重要なことだけである。
たとえば、
あの子は俺が好きかどうか、
犯人の意図は、
この発言の政治的意図は、
などの、重要場面に限られる。
つまり、数えるほどしか、
「思う」を表現しないのだ。
もう一つ簡単な方法がある。
別の人に言うことだ。
「今夜カレーにしようと思うんだ」
だ。
しかし、だから何?でしかない。
「今夜カレーにしようと思うんだ」
「カレー?昨日食ったよ」
リアクションに反発を入れてみた。
これが自然な映画の中での会話劇である。
ストーリーとはコンフリクトであるからだ。
「今夜カレーにしようと思うんだ」
「はい」
はストーリーではない。
行動は必ず反発や摩擦を生む。
それをいかに回避したりねじ伏せたり乗り越えたり、
第三の道を探るか、それが成功するか失敗するかが、
ストーリーである。
だから、「思う」ことそのものが、
波紋を起こすように会話劇をつくってゆく。
これまた、
「思う」ことに対する表現コストは上がる。
思うことに対して、一々反発と乗り越えを作らなくてはいけない。
「今夜はカレーにしようと思うんだ」
「カレー?昨日食ったよ」
「ヨーグルトを入れると美味いって聞いてね」
「どんな味になるの?」
「それが分からないから作るのさ」
「(冷蔵庫を開けるがない)よし、じゃまずヨーグルトを買いに行こう」
思いは反発を生み、コンフリクトは決着し、
次の行動へ繋がる。
これが映画的ストーリーである。
ここまでやるのが、
「思いを会話に出す」である。
同様に表現コストが高くなるので、
やはりキモになる部分に限定されてくるだろう。
映画の中では、気軽に今夜はカレーだと思えない。
にも関わらず、
小説では沢山思う事ができる。
仮に、
小説から「思う部分」を全削除すると、
どれくらいのものが残るだろう?
小説の大事な部分がだいぶ抜けて、
スカスカの骨だけ残ってしまうのでは?
逆にいうと、
映画は骨だけで勝負する文学だと言えるのだね。
小説から脚本に転身した人がまず困るのは、
「と思う」を使えないことだ。
そして骨格が貧弱なのがばれてしまう。
逆に、脚本から小説に転身すると、
骨格ばかり鍛え上げて、「と思う」を使わないことが、
欠点になる。思う豊かさが全然ない。
隙あらば思えるなあこれ、
と、最近気づいた次第だ。
2018年06月22日
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