2018年06月23日

的確な時間、二週間説

映画で扱う時間は、どれくらいがベストか?

二週間説を推してみよう。


その根拠は、
「季節が変わらない二週間も設定できるし、
季節の変わり目を二週間で描くことも出来る」
という、
実に日本人的な感覚、ということにしてみる。


一ヶ月だと、季節が変わってしまう。
5月、7〜8月、12月、2月くらいは安定していそうだけど、
その他の月では、
一ヶ月たったら季節が動いたように感じるだろう。

逆に、一ヶ月かかって季節の変わり目を描くのも、
ちょっと長すぎる気がする。

季節が変われば気分が変わる。
その変わる感覚に、一ヶ月は長いように思う。


ということで、二週間仮説。


これくらいだと、
意識が繋がったまま、最初から最後まで行ける気がする。

これ以上長いと、
「省略された何日か」が存在することになってしまうような気がする。


つまり、
「なんだかわからないが変なことがあり、
色々苦闘して解決した、一続きの出来事」を、
描きやすい時間なような気がするのだ。


これより短い、たとえば24時間や二日間だと、
緊張が濃密で、寝れないくらいのことがあるだろう。
食事もままならないかも知れない。

これより長い、たとえば数ヶ月や数年だと、
何もなかった時期があるだろう。
緊張の高まるドラスティックな部分だけを取り出して、
上手に編集することになるだろう。

一方、二週間くらいなら、
「普通に過ごして、かつ緊張と失敗と達成」を、
程よく描けると思う。


仕事で考えると、
「一週間で仕上げてくれ」だと辛いよね。
各方面との共同がうまくいかないなら、
出来には自信がないだろう。
二週間あればまあ大丈夫な形になる。
勿論、一ヶ月や三年、でもいいけど、
それはそれでプロジェクト管理が大変だ。
二週間くらいなら、各方面との話し合いだけで物事が進められそうだ。

そんな規模感。


あなたの話は、何日間の話だろう?
数えてみよう。
カレンダーに書いてもいい。

季節は変わらない?
季節の変わり目で変化を表現する?

どちらでもよい。

二週間より短いなら、
一度二週間にリライトしてみよう。
二週間より長いなら、
二週間限定の話にリライトしてみよう。

扱う内容の大きさが、
変わってくるはずだ。

それと季節の関係に敏感になってみよう。


映画は、例外が少ない、
「二時間」と尺の決まったものだ。

それに適した規模というものがある。
posted by おおおかとしひこ at 17:10| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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