物語は変化だ。
ということは、「好き」という感情と逆かもしれない。
キャラクターが好き。
この関係が好き。
ずっとこの教室にいたい。
こういう感覚は、「その状態」に行われているように思う。
状態とはつまり、
「変化しない」状況のことである。
だから、キャラが変わってしまったら、
好きという感情はなくなる可能性がある。
(劣化などという)
関係性が変わったら、
好きじゃなくなるかもしれない。
環境が変わったら、
もうそこには居たくないかもしれない。
いっぽう、
物語とは変化のことである。
キャラが変わってしまうほどの経験をする。
関係性の変化が、ストーリーの過程である。
環境の変化や移動が、ストーリーの過程である。
つまり、
変化という時間軸があるものに対して、
好きという感情は時間軸を持たない。
逆に、好きなものには、変化してほしくない、
というバイアスがかかる可能性がある、
ということである。
つまり、
好きすぎると、
変化を描くことができなくなる。
つまり、
好きすぎると、ストーリーにならない。
二次創作の人が、ストーリーが書けない、
なんていうのは、ほとんど当然だ。
なぜなら、
二次創作の理由は、たいていの場合、
そのキャラや世界観が好きなことだからである。
つまり、
二次創作の原動力は「再現」「再生産」である。
誰かがつくったものを、
好きすぎるゆえに、なんどもなんども追体験したい、
というのが二次創作の原点にいるのではないか。
だからストーリーがない。
ストーリーとは変化のことであって、
キャラがどう変化するのか、
人間関係がどう変化するのか、
環境がどう変わるのか、
がストーリーである。
変化してしまったら、
好きだったものから、逸脱してしまう。
だから、二次創作では変化しない。
(しても、元に戻る)
一方、ストーリーとは永遠の変化を扱う。
もう二度と失敗しない、
もう二度と会えない、
もう二度とあそこには戻らない、
などを描く。
つまり、
ストーリーの「ある時点」が好きになってしまったら、
そこからの変化を、
作者自身が拒否してしまうということになる。
最近だと、
刃牙のオーガであろうか。
作者が気に入りすぎて、
「その状態」を維持したままになってしまった。
すなわち、
オーガと刃牙が闘って、
オーガ最強神話が崩れるとか、
オーガに弱点があることがわかり、
それを攻略するとか、
そういうストーリーがなくなってしまった。
(決着がエアちゃぶ台になりさがった)
キャラが濃すぎて、好きになってしまうと、
そういうことが起こりやすい。
つまり、
変化しない。
変化しないということは、
ストーリーが進まないということである。
キャラクターによって人気を得るのが、
漫画の商売の方法だ。
だから、一回人気キャラになってしまうと、
そのキャラの変化をおそれて、
ストーリーが進まなくなってしまう、という現象が起こりやすい。
敵や脇でドラマが進み、
主人公近辺のことに関しては、
まったく変化のない、同じ状況、
ということが、まれによくある。
家庭を舞台に描く場合はまだ楽である。
あまり変化がないからだ。
ホームドラマは、こうして長寿命となるのだ。
しかし人生を賭けた冒険を描くような、
いわゆるストーリーものは、
変化こそが命である。
だから変化していかなくてはならない。
映画の場合、
それでも二時間で終わるから、
変化しきることが可能だろう。
問題はそれより長いものであると思う。
キャラクターが立ってきて、
好きになると危険だ。
そのキャラクターには、ストーリーがなくなるだろう。
人気者はスキャンダルやキャラチェンジを拒まれる。
「好き」は、状態(点)に起こり、
変化(線)に起こらない感情だ。
「どうしてあなたはそうなの?」と、
状態(考え方)に怒り、
「そのやり方はおかしい」と、
変化(やり方)に怒ることはめったにない。
「あいつはおかしいが、やり方は間違っていない」
という評価があることはめったにない。
「あいつは態度が気に入らない」
はよくある。
それは、「状態」こそが好き嫌いを決める要素だということだ。
ストーリーは時間軸である。
好きは状態であり、時間軸を持たない。
(むしろ、いったん好きになったら変化を嫌う)
覚えておくとよい。
だから、ストーリーが好き、ということはめったになく、
キャラやシチュエーションや世界観が好き、
ということが多いのだろう。
好きなキャラやシチュエーションや世界観など書いている場合ではないのだ。
それがどう、なぜ変化していくのかを書きなさい。
2018年06月24日
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