自戒を込めて書く。
リライトに時間をかけたほうが、いいような気がする。
じっくりと磨き、ウィスキーのように醸造できないかと。
しかしそう上手いこといかない。
時間をかければかけるほど、
「自分自身の考え」が変わってしまう。
そもそも物語というものは、
(論文や発言もそうだが)
「一つの自我によるまとまった考えや塊」である。
途中で作者が変わったり、
途中で転向してはいけない。
最初からそのつもりで準備され、
スタートしたものが、
いかに上手に翻弄して、
ラストへと見事に帰着するかだ。
まずそれを、
統一した人格で記述することが難しい。
人は日によって微妙に考えが異なるからである。
思いついた当初の閃きが、
最後まで貫かれるだろうか?
大体は、
「途中で考えを変える」または、
「新しいアイデアを足して行く」のではないか?
だから、統一した人格で書いたようにするべきだ、
と少し前に書いた。
執筆中はなかなか難しいから、
リライトで整えたほうが良い、
と僕は考えている。
で、リライトだ。
あまり長い間やらないほうが良い、
という警告である。
長いことリライトをやってしまうと、
また考えが変わってしまう。
たいていは、何かを見つけてアイデアを思いつき、
足しっぱなしにしてしまう。
それは話をややこしくするだけで、
強く、ひとつの人格から出た、美しいものにならない。
思いついた当初に、
思っていた考え方で完成させよう。
それ以上になりたい、
という気持ちになるのは分からなくもない。
それは、最初の思いつきから時間が経ち、
自身がなくなってきたからだと自分を分析しよう。
思いついたアイデアから生まれた、
一続きのストーリーに、
リライトで纏めあげるべきである。
構想○年、執筆○年でも同じことだ。
リライトを長いことやり過ぎると、
最初と最後で考え方が変わってしまって、
「ひとつのストーリー」にならないだろう。
リライトは短期決戦だ。
飽きる前に終わらせろ。
(久しぶりにFSSの設定を見ていた。
エルガイム異伝で纏めて欲しかったなあとため息をつく。
MK2とオージェの決戦の代わりに、
パトラクシェミラージュとジュノーンが相打ちになる、
運命の三姉妹が見つめたもうひとつのエルガイムはついに完結せず、
書いてるうちに全く別の人格に入れ替わってしまったのだね。
実に虚しい。
まあ30年もやったらそうなる、という例を、
リアルタイムで見れただけ良しとするか…)
2018年06月25日
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