ぱっと見混同しやすいし、
混同しているプロも沢山いると思うし、
そもそも用語が混乱している可能性もある。
しかし現象自体は極めて普通のことで、
それを正しく指す言葉が確定していない、
と考えられる。
なので、ここでちゃんと切り分けておく。
投影とは、
自分に近いものを見つけて、
そのキャラクターが自分だと思うこと。
(例: 北斗の拳で、ケンシロウではなくバットの役割)
あるいは、
もし自分がそうだったらいいなあと、
そのキャラクターが自分だと思うこと。
(例: 北斗の拳で、自分がケンシロウだったらなあと夢想すること)
投影は両極端だ。
自分と物凄く近い者か、
自分と全く違う者に行われる。
前者は自分の投影(たとえば判官贔屓はこれ)、
後者は変身願望である。
感情移入は、投影ではない。
投影はキャラクターや設定に起こる。
年齢が近い、性が近い、立場が近い、
ということで起こる。
あるいは、自分の変身願望のあるそれに起こる。
だから男子が女主人公の話を見るのは、
自分と近いものに投影しているのではなく、
自分が女だったらという変身願望を満たしている可能性がある。
(勿論以下に述べる感情移入によるものかも知れない)
感情移入は、これらに対して、
シチュエーションと行動に起こる。
「私にはこのような経験はないが、
もし私がこのようなシチュエーションになったら、
恐らくこう思い、こう行動するだろう」
あるいは、
「現実の自分にはとても出来ないが、
理想の自分ならこう行動するだろう」
の可能性もある。
年齢や性や職業に起こるのではない。
どんな年齢や性や職業であったとしても、
起こる。
それは、
「人間ならばこういうものだ」
に起こるからである。
投影と感情移入は、メカニズムが異なる。
異なるが、
最終形は、
「あいつはまるで俺だ。俺=あいつだ」
と思ってしまうことである。
投影は、年齢や性や職業が近いだけで起こる。
感情移入は、それと関係ない。
ターゲットに近い年齢や職業を選ぶのは、
投影しやすくするためである。
感情移入しやすくする為ではない。
感情移入しやすくする為には、
シチュエーションに興味を持たせ、
自分だったらどうするだろうと思わせ、
その人物の行動が、人間的かどうかで決まる。
「おれ普通のなんの取り柄もない高校生」
が主人公になるのは、
投影をしやすくする為であり、
感情移入をしやすくするためではない。
これを混同するから、
「感情移入の為には、
ターゲットに近い年齢や職業にするべきで、
かけ離れすぎているべきではない」
という、
間違ったルールが生まれてしまう。
あなたは、
どんなキャラクターにも感情移入させられるようになるべきだ。
どうやって?
誰もが感情移入できるわけないよ、
だってみんな年齢も性も職業も背景も違うもん、
と反論するならば、
あなたは感情移入を投影と混同している。
どんなキャラクターにも感情移入させられる。
それは、
特異なシチュエーションに放り込み、
その時の行動が人間を感じればよいのだ。
何故なら、映画を見るのは人間だからだ。
人間が見る、人間として当然の、
人間の共通点とはなんだろう。
それを発見することが、
作家の仕事だ。
その出来不出来を競うのが感情移入であり、
市場調査から浮かび上がった平均的観客像を主人公にすることとは、
全く原理が逆だ。
一つ質問があってコメントしました。
今回の記事で出てくる「投影≠感情移入」は
理解できました。
とすると「投影=共感」と考えて良いでしょうか。
よろしくお願いします。
投影≒共感の重なり部分はありますが、
たとえば完全無欠のヒーローやスポーツ選手に、
弱い人が願望を投影することもあるので、
同じ現象とは言えないでしょう。
結果は同じでも、メカニズムが違うというか。
また心理学上、「自分の嫌な部分を他人に見てその人を嫌がる」
という現象も投影といいます。ややこしい。
共感にせよ、感情移入にせよ、投影にせよ、
最後の結果は同じだけど、
そこに至る入口やメカニズムが違う、ということも言えるかもです。
また投影の場合は「負けると応援をやめる」傾向にあり、
共感の場合は「自分と違うとドン引きする」という傾向にありますが、
感情移入の場合そこから立ち上がることを応援したりしますね。
投影、共感は、登場人物同士でも起こるけど、
感情移入は、観客と登場人物との間でしか起こらないかもしれません。
違いが、とてもよく分かりました!
これからも、よく読んで勉強し、
実践していきます。
ありがとうございました。