ライフハックとか、人生の成功する法則とか、
巷には色々なものが溢れている。
誰だって人生を成功させたいから、
失敗が怖いから、
その法則を知りたいし、使いたい。
しかしそこに穴がある。
失敗を恐れすぎて、失敗の本質を掴まないことだ。
突然成功する人はいない。
その人は失敗したから、工夫して、ついに成功したのだ。
成功の秘訣は?と尋ねられたから、
失敗した部分でなく、
成功したの部分だけを語っているだけだ。
失敗から何を学んで成功に結びつけましたか?
と本来なら聞くべきだ。
聞き方が悪いのだ。
成功というのは、
100のクジから1の当たりを引くことである。
しかし成功した人は、
一発で当たりを引いたわけではない。
何回もハズレを引き、
「大体こういう時は外れる」
という「ハズレの法則」をわかったからこそ、
「これはハズレそう」というカンが出来、
成功しそうなクジを何回か引くことに注力出来た。
勿論100のクジを全部引く方法もある。
しかしそれは時間がかかりすぎる。
33くらいハズレを引いて、
ははあ、外れる時は大体こうなんだなと理解して、
外れずにいることで当たりを引く。
で、恐らく40回目くらいの引きで、
当たりを引くのである。
どうやって当たりを引いたかを、
当たりの部分からは説明できない。
「運が良かっただけで、周りに感謝してました」
しか言えない。
ラーメン屋に例えよう。
あなたは今まで数々のラーメン屋に入り、
当たり外れを引いてきただろう。
あなたは新しい街に引っ越して、
今までの行きつけのラーメン屋に通えず、
近所で行きつけのラーメン屋を確保しなければならないとする。
どうやって探す?
食べログで検索するかも知れない。
ウロウロして実店舗を見に行くかも知れない。
で、それが当たりか外れか、
どうやって「事前に」知る?
ラーメン屋の当たり外れを知る方法として確実なのは、
「綺麗なラーメン屋は外れ」だ。
出来たばっかりなラーメン屋は大体よくない。
汚くても客が通うラーメン屋は大体美味い。
歴史を持ってるからだ。
しかし汚いラーメン屋が美味いとは限らない。
ただボロいだけの可能性がある。
その辺は、「当たりそう」なカンで、
実際に食べて見ることでしか分からない。
食べログは参考にならない。
他人が美味いというものが、自分にとって美味いとは限らず、
自分にとって美味いものが、他人にとって美味いとも限らない。
映画と食べ物と女は、人によって全然評価が違う。
(女性の方は男に読み替えてください)
なので、
これまで外れてきたラーメン屋の法則から生まれる、
自分自身のカンを生かして、
飛び込むしかないのだ。
それでも1/2も当たればいい方だろう。
それでもそのうち大当たりを引くだろう。
ネット時代になって、
ライフハックとか成功の法則とか、
成功した部分だけをクローズアップすることが増えてきた。
短い記事でアクセスを稼ぎやすいからである。
それは売れるものだけ売って真実を売らない本屋のようだ。
早晩潰れるであろう。
ほんとうは、33くらい失敗する必要がある。
ライフハックや成功の法則ばかり見ていると、
100のクジから1回で当たりを引く方法ばかり書いてある。
33の失敗からカンを鍛える方法は書いていない。
それは、本当の成功の法則ではない。
100のクジから1回で当たりを引く方法ばかり見ていると、
残り99が怖くなる。
こうして、33の失敗をするチャンスを失う。
あなたが美味いラーメン屋を見分けられるのは、
これまでのハズレの経験があるからだ。
ハズレの経験がないと、
当たりを引くことが出来ない。
「ここは入る必要がない」を判断できないからだ。
で、ようやく本題。
物語は、100から1の当たりを引くことではない。
それじゃあ始まってすぐ終わりだし、
それで感情移入なんかできやしない。
嘘っぽいからだ。
宝くじに当たる人は主人公になれない。
でも、33の失敗を一々描くのも無駄ばかりでつまらない。
物語は、何回か失敗し、
何回か立ち上がり、ついに成功する様を描く。
(失敗の回数は長さや規模による)
つまり、33の失敗のエッセンスを、
そこで描くということである。
その何回かの失敗から次々に学び、
最後には当たりそうな所を引いて、
最終的に当たりを引くのが物語だ。
何故なら、
物語とは人生の凝縮だからだ。
人生を凝縮するのに、
1回だけクジを引いて当てる人を描くのは、
間違いであることがわかるだろう。
失敗せよ。
若いうちがいい。取り返せる。
若者は、失敗するのが仕事だと思って良い。
失敗100回すれば、自ずと自分なりのカンができる。
その為に沢山失敗しなさい。
そして、失敗して、そこから何かを得て、
最後に大成功する主人公を描きなさい。
エッセンスを上手に振りまくことだ。
ラーメン屋で失敗しまくり、
美味いラーメン屋を見分けられる人は、
ラーメン屋の話を書く必要はない。
主人公はあなたではないのであった。
そのエッセンスを、
ヤリチンがついにいい女に出会う話とか、
会社のプロジェクトが成功するとか、
宇宙海賊が銀河帝国を倒すとか、
そういうものに応用すれば良い。
ラーメンは一度も出てこないのに、
何故か人生のエッセンスを感じるようにすれば良い。
地雷は沢山踏もう。
若いうちの爆死が、
地雷がどういうものかを理解させ、
神への道を歩かせるのである。
ここから余談。相変わらず男女差別極論をします。
99の失敗を恐れて、1回で成功しようというのは、
女のせいじゃないかと思っている。
女は弱くビビリである。
肉体的にセックスは危険であるから、
何度も失敗できない。
だから1回でなるべく成功したい。
沢山失敗したら傷物扱いされるし。
男の傷は勲章だ。その傷の分笑い話が出来る。
ネットは男が減った。
ネットに足を引っ張られ、縮こまる男が増えた。
それは、ビビる母親に止められた息子のようだ。
男はいつか母親を振り切り、
母親のいない荒野で成功しなければならない。
失敗したらどうすんの、は、女だ。
死ぬわけじゃないし、が男だ。
死なずに沢山失敗しろ。
そのうちカンが鍛えられる。
女は一生その安全な所から出るな。
男は外に出て失敗しろ。
この場合、男や女は、生物的性別ではなく、心根のことである。
人生は究極のDYIで、物語も究極のDYIだ。
2018年06月26日
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