2018年06月26日

失敗を描けないと成功を描けない

ライフハックとか、人生の成功する法則とか、
巷には色々なものが溢れている。

誰だって人生を成功させたいから、
失敗が怖いから、
その法則を知りたいし、使いたい。

しかしそこに穴がある。
失敗を恐れすぎて、失敗の本質を掴まないことだ。


突然成功する人はいない。
その人は失敗したから、工夫して、ついに成功したのだ。

成功の秘訣は?と尋ねられたから、
失敗した部分でなく、
成功したの部分だけを語っているだけだ。

失敗から何を学んで成功に結びつけましたか?
と本来なら聞くべきだ。
聞き方が悪いのだ。



成功というのは、
100のクジから1の当たりを引くことである。

しかし成功した人は、
一発で当たりを引いたわけではない。

何回もハズレを引き、
「大体こういう時は外れる」
という「ハズレの法則」をわかったからこそ、
「これはハズレそう」というカンが出来、
成功しそうなクジを何回か引くことに注力出来た。

勿論100のクジを全部引く方法もある。
しかしそれは時間がかかりすぎる。

33くらいハズレを引いて、
ははあ、外れる時は大体こうなんだなと理解して、
外れずにいることで当たりを引く。
で、恐らく40回目くらいの引きで、
当たりを引くのである。


どうやって当たりを引いたかを、
当たりの部分からは説明できない。
「運が良かっただけで、周りに感謝してました」
しか言えない。

ラーメン屋に例えよう。

あなたは今まで数々のラーメン屋に入り、
当たり外れを引いてきただろう。

あなたは新しい街に引っ越して、
今までの行きつけのラーメン屋に通えず、
近所で行きつけのラーメン屋を確保しなければならないとする。

どうやって探す?

食べログで検索するかも知れない。
ウロウロして実店舗を見に行くかも知れない。

で、それが当たりか外れか、
どうやって「事前に」知る?


ラーメン屋の当たり外れを知る方法として確実なのは、
「綺麗なラーメン屋は外れ」だ。
出来たばっかりなラーメン屋は大体よくない。
汚くても客が通うラーメン屋は大体美味い。
歴史を持ってるからだ。
しかし汚いラーメン屋が美味いとは限らない。
ただボロいだけの可能性がある。
その辺は、「当たりそう」なカンで、
実際に食べて見ることでしか分からない。

食べログは参考にならない。
他人が美味いというものが、自分にとって美味いとは限らず、
自分にとって美味いものが、他人にとって美味いとも限らない。
映画と食べ物と女は、人によって全然評価が違う。
(女性の方は男に読み替えてください)

なので、
これまで外れてきたラーメン屋の法則から生まれる、
自分自身のカンを生かして、
飛び込むしかないのだ。

それでも1/2も当たればいい方だろう。

それでもそのうち大当たりを引くだろう。



ネット時代になって、
ライフハックとか成功の法則とか、
成功した部分だけをクローズアップすることが増えてきた。
短い記事でアクセスを稼ぎやすいからである。
それは売れるものだけ売って真実を売らない本屋のようだ。
早晩潰れるであろう。


ほんとうは、33くらい失敗する必要がある。
ライフハックや成功の法則ばかり見ていると、
100のクジから1回で当たりを引く方法ばかり書いてある。
33の失敗からカンを鍛える方法は書いていない。
それは、本当の成功の法則ではない。

100のクジから1回で当たりを引く方法ばかり見ていると、
残り99が怖くなる。
こうして、33の失敗をするチャンスを失う。


あなたが美味いラーメン屋を見分けられるのは、
これまでのハズレの経験があるからだ。
ハズレの経験がないと、
当たりを引くことが出来ない。
「ここは入る必要がない」を判断できないからだ。


で、ようやく本題。

物語は、100から1の当たりを引くことではない。

それじゃあ始まってすぐ終わりだし、
それで感情移入なんかできやしない。
嘘っぽいからだ。
宝くじに当たる人は主人公になれない。

でも、33の失敗を一々描くのも無駄ばかりでつまらない。

物語は、何回か失敗し、
何回か立ち上がり、ついに成功する様を描く。
(失敗の回数は長さや規模による)

つまり、33の失敗のエッセンスを、
そこで描くということである。

その何回かの失敗から次々に学び、
最後には当たりそうな所を引いて、
最終的に当たりを引くのが物語だ。

何故なら、
物語とは人生の凝縮だからだ。


人生を凝縮するのに、
1回だけクジを引いて当てる人を描くのは、
間違いであることがわかるだろう。


失敗せよ。
若いうちがいい。取り返せる。
若者は、失敗するのが仕事だと思って良い。

失敗100回すれば、自ずと自分なりのカンができる。
その為に沢山失敗しなさい。

そして、失敗して、そこから何かを得て、
最後に大成功する主人公を描きなさい。
エッセンスを上手に振りまくことだ。

ラーメン屋で失敗しまくり、
美味いラーメン屋を見分けられる人は、
ラーメン屋の話を書く必要はない。
主人公はあなたではないのであった。

そのエッセンスを、
ヤリチンがついにいい女に出会う話とか、
会社のプロジェクトが成功するとか、
宇宙海賊が銀河帝国を倒すとか、
そういうものに応用すれば良い。

ラーメンは一度も出てこないのに、
何故か人生のエッセンスを感じるようにすれば良い。



地雷は沢山踏もう。

若いうちの爆死が、
地雷がどういうものかを理解させ、
神への道を歩かせるのである。



ここから余談。相変わらず男女差別極論をします。

99の失敗を恐れて、1回で成功しようというのは、
女のせいじゃないかと思っている。
女は弱くビビリである。
肉体的にセックスは危険であるから、
何度も失敗できない。
だから1回でなるべく成功したい。
沢山失敗したら傷物扱いされるし。

男の傷は勲章だ。その傷の分笑い話が出来る。
ネットは男が減った。
ネットに足を引っ張られ、縮こまる男が増えた。
それは、ビビる母親に止められた息子のようだ。
男はいつか母親を振り切り、
母親のいない荒野で成功しなければならない。

失敗したらどうすんの、は、女だ。
死ぬわけじゃないし、が男だ。

死なずに沢山失敗しろ。
そのうちカンが鍛えられる。
女は一生その安全な所から出るな。
男は外に出て失敗しろ。

この場合、男や女は、生物的性別ではなく、心根のことである。
人生は究極のDYIで、物語も究極のDYIだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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