主人公は一人で行動する必要はない。
人間が一人ですることには限界がある。
主人公は行動しろ、といっても、単独行動にしなくても良い。
仲間、協力者を探し、
ともに行動することも、立派な行動である。
自分の目的を叶えそうな組織に入ること。
友達に協力してよと頼むこと。
似た目的を持ったものに、取引をしないかと迫ること。
借りを作って、協力してもらうこと。
金で雇うこと。
騙して思うことをさせること。
無理やりやらせること。
法律を破ること。
チートを使うこと。
色々なやり方がある。
ここでは善悪は問わない。
主人公は善であるべきとも思わない。
よほどのことがあれば、
多少社会的に問題があっても、
「やむなし」の範囲なら皆は応援する。
あまりにも非道いと、応援しようとする気にはならなくなる。
どちらにせよ、
単独ではなく、誰か他の人物が登場するこということになる。
彼または彼女には別の目的があるから、
主人公の目的と異なるため、
すり合わせが発生するはずだ。
そのすり合わせこそ、コンフリクトである。
男女が付き合うことや結婚なんてのは、
目的のすり合わせがうまくいくかどうかを、
延々やっているに過ぎなくて、
それが笑いでもないと深刻すぎるから、
ラブコメというジャンルになるわけだ。
すり合わせる過程において、
喧嘩や誤解や秘密の暴露や、
思ってもみなかったことを言ったり、
謝ったり考え方を変えたり、
間違ったりやり直したり、
一旦はおさまったかに見えた火種が別の方向からぶり返したり、
色々なことがあるに違いない。
すり合わせは一瞬で終了しない。
少しずつ行われる。
最初いいかと思っていても、
あとで必ずほころびが出てくる。
それがストーリーというもので、
それは人間同士のあるあるのシミュレーションなわけだ。
契約のような分かりやすいすり合わせをしたとしても、
問題が起きた時に、
そういうことだったのかと、失望したり怒ったりすることもあるだろう。
契約破棄なのか改変なのかで、
また揉めるはずだ。
つまり、
協力者がいることで、
協力者とのドラマを作れる、
ということなのだ。
行動せよ、とはいうけれど、
単独行動して敵を壊滅せよ、
なんてニンジャムービーでもない限り、
必ず協力者が必要だ。
じゃあ、誰と、どんな奴と、協力する?
ということになる。
この協力者で、ドラマの質が決まる。
バディムービーはこれが基本形になっている。
凸凹コンビなのは、
コンフリクトを起こしやすいからだね。
いつもは細かいことで喧嘩して、
まったくお前が理解できないといいながら、
いざというときには、
同じタイミングで心をひとつに大活躍。
こういうコンビは最高で、
それは男女でも同じこと。
バディムービーは形を変えたラブストーリーだ、
とよく言われるが、
それは協力者という視点からコンフリクトを見ると、
わかるわけだ。
(腐女子が男二人のバディものにBL的な萌えを感じるのは、
ラブストーリーの構造に反応しているのである)
もちろん、協力者は1人でなくて、
沢山いてもよい。
そうすると、バンドものとか会社ものとか、
それくらいの人数の社会を描くことになるだろう。
敵は敵だけではない。
コンフリクトを起こす全ての人に、
ドラマを作ることが出来て、
それらの行く末が、
クライマックスにむけてどうなっていくかを、
描くわけである。
2018年06月27日
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