2018年06月27日

協力者

主人公は一人で行動する必要はない。
人間が一人ですることには限界がある。

主人公は行動しろ、といっても、単独行動にしなくても良い。
仲間、協力者を探し、
ともに行動することも、立派な行動である。


自分の目的を叶えそうな組織に入ること。
友達に協力してよと頼むこと。
似た目的を持ったものに、取引をしないかと迫ること。
借りを作って、協力してもらうこと。
金で雇うこと。
騙して思うことをさせること。
無理やりやらせること。
法律を破ること。
チートを使うこと。

色々なやり方がある。

ここでは善悪は問わない。
主人公は善であるべきとも思わない。

よほどのことがあれば、
多少社会的に問題があっても、
「やむなし」の範囲なら皆は応援する。

あまりにも非道いと、応援しようとする気にはならなくなる。


どちらにせよ、
単独ではなく、誰か他の人物が登場するこということになる。
彼または彼女には別の目的があるから、
主人公の目的と異なるため、
すり合わせが発生するはずだ。

そのすり合わせこそ、コンフリクトである。

男女が付き合うことや結婚なんてのは、
目的のすり合わせがうまくいくかどうかを、
延々やっているに過ぎなくて、
それが笑いでもないと深刻すぎるから、
ラブコメというジャンルになるわけだ。

すり合わせる過程において、
喧嘩や誤解や秘密の暴露や、
思ってもみなかったことを言ったり、
謝ったり考え方を変えたり、
間違ったりやり直したり、
一旦はおさまったかに見えた火種が別の方向からぶり返したり、
色々なことがあるに違いない。

すり合わせは一瞬で終了しない。
少しずつ行われる。

最初いいかと思っていても、
あとで必ずほころびが出てくる。

それがストーリーというもので、
それは人間同士のあるあるのシミュレーションなわけだ。

契約のような分かりやすいすり合わせをしたとしても、
問題が起きた時に、
そういうことだったのかと、失望したり怒ったりすることもあるだろう。
契約破棄なのか改変なのかで、
また揉めるはずだ。



つまり、
協力者がいることで、
協力者とのドラマを作れる、
ということなのだ。


行動せよ、とはいうけれど、
単独行動して敵を壊滅せよ、
なんてニンジャムービーでもない限り、
必ず協力者が必要だ。

じゃあ、誰と、どんな奴と、協力する?

ということになる。
この協力者で、ドラマの質が決まる。

バディムービーはこれが基本形になっている。
凸凹コンビなのは、
コンフリクトを起こしやすいからだね。

いつもは細かいことで喧嘩して、
まったくお前が理解できないといいながら、
いざというときには、
同じタイミングで心をひとつに大活躍。

こういうコンビは最高で、
それは男女でも同じこと。

バディムービーは形を変えたラブストーリーだ、
とよく言われるが、
それは協力者という視点からコンフリクトを見ると、
わかるわけだ。

(腐女子が男二人のバディものにBL的な萌えを感じるのは、
ラブストーリーの構造に反応しているのである)


もちろん、協力者は1人でなくて、
沢山いてもよい。

そうすると、バンドものとか会社ものとか、
それくらいの人数の社会を描くことになるだろう。

敵は敵だけではない。
コンフリクトを起こす全ての人に、
ドラマを作ることが出来て、
それらの行く末が、
クライマックスにむけてどうなっていくかを、
描くわけである。
posted by おおおかとしひこ at 10:01| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。