ならば、試せば良い。
試行錯誤経験が少ないならば、
死ぬほど試行錯誤しなさい。
すべての可能性の組み合わせが見たいなら、
そうしなさい。
このエリアにあるすべての店をチェックしたいなら、
そうしなさい。
ものすごく時間がかかる。
それでも、やったことないなら、
やっておくべきだ。
全探索は、一回や二回ではダメで、
何度も何度もやってみたほうがよい。
で。
そうやってしんどいことを何度もやると、
カンが生まれてくる。
「そこはいけそう」
「そこはダメそう」とね。
そのカンこそが、
プロフェッショナルの武器である。
センス、と一言で言われることが多いけど、
何度も何度も試行錯誤をしてきた結果、
一瞬で判断できる、
身についたものが、
そのようなカンである。
で。
最初からセンスのある人もいる。
でもそれは、得意ジャンルのセンスに過ぎないことが多くて、
やったことないことに関しては、
ど素人と変わらないことが多い。
で、自分の勝てる土俵に引きずり込んでしまいがちな傾向がある。
つまり、作風が固定してしまう傾向にある。
やったことないことこそ、
試行錯誤しよう。
それは、いつかカンという地肉に化けるだろう。
逆にいうと、
カンに昇華しないならば、
単なる無駄骨の徒労である。
その苦労の中で、
何を思えば正解にたどり着けたのか、
どこに気づけばその無駄をする必要がなかったのか、
反省会を常にするべきである。
反省会がないならば、
単なるランダム探索しらみつぶしでしかなく、
それは阿呆な徒労でしかない。
私たちは、新しいものを作る。
カンで大体できる部分もあるけれど、
それだけで出来てしまっては、
なにかの焼き直しをしてるだけの可能性がある。
新しいことをする時に、
試行錯誤と無駄骨は必要だ。
それって、
「今の進行からして、上がりはこうなる」
と予想できなければ、
判断もできないということ。
経験値とセンス、というのはそういうことだ。
どれだけ失敗してきたか。
どれだけ成功してきたか。
どれだけ失敗から学んできたか。
言葉にする必要もなく、0.1秒で判断できるまでには、
膨大な時間が背後にあるわけだ。
時々、試行錯誤経験のないやつが、
明らかに面白くないアイデアを出して、
「やってみないと分からない」と言ったりする。
俺にはやらなくても分かるんだけど。
やらなくてもある程度○か×かわからなくて、
何がプロかって感じだよね。
△はたまにある。
それが化けるなにかを連れてくることも、
なくはない。
読めるやつはチャンチャンでやればよい。
それだけで作ったら手癖の焼き直しだ。
読めないやつは腰を据えて考えるとよい。
それだけで作ったら素人のまとまりもないやつになる。
そのバランスが、新しさと効率を決める。
2018年06月29日
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