2018年06月29日

状況が変化しない時はどういう時?

ストーリーとは変化のことである。
刻一刻と状況が変化し、
対応したり先回りして状況を変えていく。
そのために行動をするわけだ。

ところで、
常に状況が目まぐるしく変わっているわけではない。
状況変化が一旦静まるときもある。

それはいつ?


「状況を把握しているとき」だ。

いわば説明の部分だ。


本当に状況が目まぐるしいならば、
「説明してる暇はない。あとで話す」となるはず。
その「あとで」話されるときは、
一旦は状況が落ち着いているときである。

で。

そこのところの説明は、
「状況を把握したい」と観客が思っている限りにおいては、
出来るだけ詳細にしても構わない。

説明が下手で冗長だから、
なるべく短くして済ませようと、
コンプレックスで短くするべきではない。

なるべく丁寧に説明しよう。
普段説明は短く!と言われているからと言って、
ビビる必要はない。

きちんと状況を、登場人物にも、
観客にも理解させよう。


観客だけ分かっていて、登場人物がわかっていない、
もしくはその逆、
特定の登場人物だけ分かっていて、観客には伏せられている、
いわゆる「劇的アイロニー」を、
使っても構わない。
(劇的アイロニーは、所詮は「見せ方」のテクニックに過ぎず、
ストーリーそのもの、すなわち動機と行動と結果、
には、なんら関係ないことに気付こう。
劇的アイロニーはいわゆる演出の範囲である)



さて。


状況が把握できたら、次は行動だ。


つまり、ストーリーには3つのフェイズがある。

状況の変化、
状況の把握、
行動である。

その結果状況が変化し、
誰かがその状況に対して行動し…
というループが、基本構造である。

あるいはターン制順番でなく、
同時行動したり、
先回りしたり、対応が遅れたり、
ということも勿論あるだけのこと。


行動は、肉体的オペレーションを伴うもの
(殴る、手紙を出す、ボタンを押す、○○へ行く、
つくる、こわす、など)
でも良いし、言葉による依頼や拒否でも構わない。

関係性が変化しない言葉のやり取りは、
行動に含まない。
その言葉を言うことで、これまでの関係が変わってしまう言葉が、
行動に含まれる言葉である。
(断る、結婚して、協力してくれ、あっちにいけ、
などなど)

行動そのものを描いているときは、
厳密には状況は変化せず、
何か決定的なことになったら、
状況の変化が起こるだろうね。



状況が変化しない。
行動しても状況が変化しない。
状況が変化しない言葉しか言わない。
だから、状況を把握するシーンもない。

それは、ストーリーではない。


逆にいうと、
ちゃんとしたストーリーには、
状況の変化があり、
それを把握するシーンがあり、
行動があり、
状況を変える言葉がある。

それが、変化の端緒のほころびからスタートして、
これ以上変化しない終着点にくるまでを、
ストーリーと呼ぶ。



ちなみに。

一人旅は擬似ストーリーだ。
居場所の変化という状況変化があり、
新しい場所や宿の状況把握があり、
次の場所へ行く行動があり、
家に帰ってくる。

しかしこれは一般的にはストーリーにならない。
他人との摩擦=コンフリクトがないからだ。

凸凹二人旅はストーリーになる。
ついでに旅先で会う人々との摩擦があり、
上手な結末になればストーリーになる。
股旅物は古くからあるストーリー形式のひとつだ。

その全体がなにかの意味がある、
という風に、上手に全体が組み立てられていれば、
映画的なきちんとしたストーリーになるだろう。

ストーリーがよく旅にたとえられるのは、
非日常性という特徴だけではなく、
このような類似があるからでもある。
posted by おおおかとしひこ at 13:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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