増やすことは意外と簡単だ。
水増しともいわれるように、設定やキャラを増やすこと自体はできると思う。
しかし、削ることが難しい。
その基準はどうなっているのだろうか。
ぼくは、「削ることによって豊かになる」
というのが、削ることの効用ではないかと思っている。
たとえば、あるシーンを削ることで、
そのシーンがあったとき以上に、
想像がふくらむようになっているとき、
そのシーンを削るべきだと思う。
大体、余計なことを説明してしまいがちなのが、
我々というものだ。
しかし、観客の読解力をなめてはいけない。
我々が思った以上に、
今ある情報からなるべく多くを想像していくのが、観客というものである。
で、大体書いた流れから、とあるシーンを試しに削ることを考える。
それはたいてい余計な説明を入れていることがほとんどで、
リライトのときに、
心配だから足してしまったシーンであることが多い。
もちろん、シーンじゃなくてもよいので、
数行の説明台詞であったり、
余計な過去エピソードであったりすることがとても多い。
一回、それをまるまる削るとどうなるか、
やってみるとよい。
それで得られるのは、
「勢い」であることが、とても多いのだ。
説明や余分なものとは、
勢いを殺していることがとても多い。
それらを削ると、
勢いが回復することが多い。
単純にテンポが上がることと、
要素が減ることが大きいと思う。
説明を足したり要素を増やすのは、
楽しいのだが、
要素を増やしてややこしくしているだけかもしれない。
じゃあ、何を残して、
何を削るべきかという指針が重要になってくると思う。
その時に指針となるのが、
「想像の余地があり、想像を膨らませられるか」
ということではないかなあ。
殺人犯が、
「なぜ殺したのか」を削っちゃいけないけど、
本当のところだけを隠すと、
なんだか含みがあるような感じになってくる。
そういう感じ。
もちろん、もやもやしてはいけなくて、
すっきりしたほうがいいのはある。
しかし、わざと語らないことで、
想像させる、
という選択肢もある。
難しいのは、
「隠すことで、わざともやもやさせる」
というのが、
「出来ていない物語を、より高尚に見せる」
という小物のテクニックに使われることがあることで、
それはよくないやり方であることは明記しておく。
有効なのは、
きちんと筋が通っていて、
それでも上手に省略されているときだけだろうね。
ある部分を書くか隠すか、迷っているなら、
両方やってみて選ぶという手もある。
あるいは、それに関係ないところでそれをやると、
その部分に効いてくる、
というパターンもある。
だから一概に、大体こうすればよい、
ということを言えないのが苦しいところだが、
色々な試行錯誤をしてみるのは、
何をかき、何を隠すべきかの、
カンを養うことになると、
僕は考えている。
ということで、なかなか難しいが、
わざと隠したり、
それをちゃんと書いてみたり、
両方やってみるトレーニングをしてみると、
どういうことなのか、
分るかもしれない。
分っていたほうがストーリーが理解が進み、
キャラクターへの思い入れが進むようなのは、
あるとよい。
思いれの強化にしかならないやつは、
捨てたほうがテンポが上がる。
そのへんの強弱は、エピソードの強弱だけでなく、
何かを省略することによっても得られることがあったりする。
2018年07月01日
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