2018年07月01日

増やすより削ることが難しい

増やすことは意外と簡単だ。
水増しともいわれるように、設定やキャラを増やすこと自体はできると思う。
しかし、削ることが難しい。
その基準はどうなっているのだろうか。


ぼくは、「削ることによって豊かになる」
というのが、削ることの効用ではないかと思っている。

たとえば、あるシーンを削ることで、
そのシーンがあったとき以上に、
想像がふくらむようになっているとき、
そのシーンを削るべきだと思う。

大体、余計なことを説明してしまいがちなのが、
我々というものだ。
しかし、観客の読解力をなめてはいけない。
我々が思った以上に、
今ある情報からなるべく多くを想像していくのが、観客というものである。

で、大体書いた流れから、とあるシーンを試しに削ることを考える。
それはたいてい余計な説明を入れていることがほとんどで、
リライトのときに、
心配だから足してしまったシーンであることが多い。
もちろん、シーンじゃなくてもよいので、
数行の説明台詞であったり、
余計な過去エピソードであったりすることがとても多い。

一回、それをまるまる削るとどうなるか、
やってみるとよい。

それで得られるのは、
「勢い」であることが、とても多いのだ。

説明や余分なものとは、
勢いを殺していることがとても多い。
それらを削ると、
勢いが回復することが多い。
単純にテンポが上がることと、
要素が減ることが大きいと思う。

説明を足したり要素を増やすのは、
楽しいのだが、
要素を増やしてややこしくしているだけかもしれない。

じゃあ、何を残して、
何を削るべきかという指針が重要になってくると思う。
その時に指針となるのが、
「想像の余地があり、想像を膨らませられるか」
ということではないかなあ。

殺人犯が、
「なぜ殺したのか」を削っちゃいけないけど、
本当のところだけを隠すと、
なんだか含みがあるような感じになってくる。
そういう感じ。

もちろん、もやもやしてはいけなくて、
すっきりしたほうがいいのはある。
しかし、わざと語らないことで、
想像させる、
という選択肢もある。

難しいのは、
「隠すことで、わざともやもやさせる」
というのが、
「出来ていない物語を、より高尚に見せる」
という小物のテクニックに使われることがあることで、
それはよくないやり方であることは明記しておく。

有効なのは、
きちんと筋が通っていて、
それでも上手に省略されているときだけだろうね。

ある部分を書くか隠すか、迷っているなら、
両方やってみて選ぶという手もある。
あるいは、それに関係ないところでそれをやると、
その部分に効いてくる、
というパターンもある。
だから一概に、大体こうすればよい、
ということを言えないのが苦しいところだが、
色々な試行錯誤をしてみるのは、
何をかき、何を隠すべきかの、
カンを養うことになると、
僕は考えている。

ということで、なかなか難しいが、
わざと隠したり、
それをちゃんと書いてみたり、
両方やってみるトレーニングをしてみると、
どういうことなのか、
分るかもしれない。

分っていたほうがストーリーが理解が進み、
キャラクターへの思い入れが進むようなのは、
あるとよい。
思いれの強化にしかならないやつは、
捨てたほうがテンポが上がる。
そのへんの強弱は、エピソードの強弱だけでなく、
何かを省略することによっても得られることがあったりする。
posted by おおおかとしひこ at 22:18| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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