一回ラストまで書いたかな、
と感じたときに、
やってみよう。
その直後に、
「しかしそれは、真の解決ではなかった」
と一行入れてみるエクササイズ。
しかしそれは、真の解決ではなかったのだ。
と言われると、
何が残ってたっけ、
と、洗いざらいをすることになる。
伏線のようなもの。
あれのあれは放りっぱなしだった。
そういうことを思い出したりする。
あるいは、
外的問題が解決したとしても、
主人公の真のトラウマがこれで本当に解決したと言えるか?
と、カタルシスを検証できるようになる。
あるいは、
他の登場人物の内的問題がこれで解決したことになるかなあ、
と隅々を見ることができるようになる。
で。
そのようなことを思ったら、
さらに高い山を用意しよう。
クライマックスを書き終えたと思っても、
まだ真のクライマックスではなかったのだ。
そういうことが、ままあったりする。
つまり、クライマックスだと思っていたのはまだ第二幕後半で、
今第二ターニングポイントを用意し、
「本当のクライマックス」を書かなければならない。
かも知れない。
いやいやいや、今書き終えたクライマックスで、
全てが昇華したよと思うなら、
それらの余ったやつも、
そのクライマックス内で全解決するように、
書きなおすべきなのである。
つまりクライマックスの準備が変わってくる可能性が、
あるということ。
で。
それをも書き終えたときに、
「しかしそれは、真の解決ではなかったのだ」
とまた書いてみよう。
それでまた何かに気づくことになるだろう。
「いや、真の解決でした」
とその一行に納得して言い返せるなら、
ようやく真の解決をしたことだろう。
つまり、真の解決など、
最初の段階ではしていなかったことになる。
やってみて良かったと思うはず。
執筆段階では、
プロットになかったあれやこれやが増えることがよくあって、
プロット通りのクライマックスでは、
真の解決にならないことが、
稀によくある。
だから、毎回これは真の解決に、
真のカタルシスになっただろうか?
と考えるのに、
このエクササイズはちょうど良い。
2018年07月01日
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