それは人によって様々だろう。
それが物語のバリエーションだともいえる。
譲れない信条のため。
好きな人のため。
生活のため。
昔からの夢。
諦めたらそこで終わりだから。
人生を変えられるかも知れないから。
行動は賭けだ。
つまり、ストーリーとはギャンブルだ。
勿論、
勝てる確率を上げたり、
負ける確率を下げたり、
戦術としては色々やるだろう。
しかしその奥底にある、
「何故その賭けに出るのか?」は、
登場人物によって様々だ。
逆にそれを作れないと、
ストーリーは前に進まない。
「危険を犯して前に進む」
というのはストーリーの基本だ。
ということは、
・危険は何か
・何故危険を冒すのか
・何故進みたいのか
・何故失敗せず成功したのか
がきちんと創作されていないと、
ダメだということ。
その中でも最初の原動力になる、
動機ができていないと、
ストーリーはすぐに停滞してしまう。
「そうまでしてこれをやる?」
となってしまう。
だから動機こそがストーリーの軸足だ。
そこがグズグズなら、
何を書いてもグズグズだ。
何ならその人は命を賭けるのか。
そこの所が創作である。
で、気をつけるべきことは、
相変わらず「自分なら○○と命を守る引き換えにする」
という例を出してはいけないことである。
(自分を書いてはいけない)
何故なら、○○は説明なしに善となってしまうからだ。
それでは他人を説得できない。
○○に興味のない人にも、
○○のためならしょうがない、
と思わせるのが、
三人称形のストーリーというものである。
だから、他人が△△のために命を賭けるのを描き、
この人なら△△に命を賭けるだろうなあ、
と思わせる物語を作らなければならないのだ。
だから、あなたの○○と△△は、
別のものにしておくことだ。
仮に、
「健康のためなら死んでもいい」
というキャラクターを作るとしよう。
健康法が行き過ぎるとこうなるよね、
というパラドックスで出てくるけれど、
実際にこれを主人公にしてみよう。
何故その人はそう信じるに至ったのかを、
創作するのである。
病弱で他人が羨ましかった。
健康になって初めて彼女ができた。
健康な一日を一回でいいから過ごしてみたい。
なんでもいい。
「健康のためなら死んでもいい」
と普通言われたら、
「そんなバカな」
と思ってしまうことに対して、
「それならわかる」を、
創作していくのである。
病弱で常に酸素マスクを外せずに育った子供で、
リュックに常に小ボンベが入っていて、
全速で走ることが出来なくて、
それでも運動会に出たくて、
無理して倒れたこともあり、
大人になってもリュックを外すことは出来ず、
好きな人と手を繋いだまま、
草原に寝転びたいと思ったが、
リュックの為叶わず、
「健康になれたら死んでもいい」と思い、
病気に立ち向かう男の話を考えよう。
こうすれば、
今後の困難に対して、
たとえば新しいヘンテコ健康法を試したり、
それが命にかかわるものであったとしても、
彼がどうしてもそれをやろうとすることに、
感情移入して見ていけるはずだ。
つまり、
「その人の動機に心を動かせる」
ことをやると、
話は動き出す。
あなたの○○を描かない方がいい、
というアドバイスは、
そのような他人への説得力に、
客観的になれないことを意味している。
だから全然違う、
あなたと関係ない△△を見つけると、
あるいは創作すると、
面白いストーリーを描ける可能性がある。
2018年07月03日
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