小説や演劇ではどうか分からないが、
映画においては、
テーマに関係するビジュアルを用意するものだ。
たとえば、
「人には二面性がある」というテーマだとしよう。
それはたとえば、
「違う方向から見ると形が全然違う彫刻」
で象徴することが出来る。
大昔の大映ドラマ「ヤヌスの鑑」では、
ヤヌス像(二つの顔を持つ神)で象徴していた。
上のテーマは「人には裏表がある」とも言い換えられる。
じゃあたとえば、
「お好み焼きをひっくり返す」とか、
「服の裏表で示す」とか、
「札やコインの裏表で示す」とか、
「影が二つの方向に出る」とか、
「前と後ろで模様の違う服」
などなどで象徴できる。
これらは、小道具というビジュアルで、
テーマを表現したものだ。
もしお好み焼きで人の二面性を象徴するとしたら、
裏表がない人は、焼きそばで表現できるかも知れない。
つまり、
ビジュアルで表現されたテーマは、
例え話になるわけだ。
小道具という具体的なものになることで、
これに操作を加えられる。
動詞を含めて表現できる。
服の裏表で二面性を表現するなら、
そんな服を「脱ぐ」という動作を用いれば、
「二面性を嫌って裸になる」
ことを意味できる。
「前と後ろで二面性を表現する」なら、
「横に動く」ことは第三の解の存在を示唆できる。
たとえ話は、
ただたとえただけではつまらない。
そのビジュアル(象徴)を使った、
操作までして初めて意味がある。
女の命は儚く、花のようである、
とたとえたなら、
その花をいくつ摘み取れるかな、
とヤリチンの発言に絡めるとか、
温度さえあればいつでも花が咲くアラマンダという花を用いて、
まだ終わってないとセリフで言わせることも可能だ。
映画の場合、
とくにテーマをビジュアルに託す事が多い。
それは記憶に残るビジュアルになるだろう。
逆に、ビジュアルで表現できないテーマは、
あまりこころに残らないに違いない。
なんだっけ、と思い出すとき、
人は言葉や音楽のような時間軸の必要なものより、
時間軸のいらない写真のほうが圧倒的に楽だからだ。
鮮烈な記憶というのは、
たいてい静止画である。
ということで、
ビジュアル、象徴に、
テーマを託せるだろうか?
新しい、テーマとビジュアルの結びつきを、
発明しているだろうか?
たとえば上に挙げた中では、
人の二面性をお好み焼きで表現したのは、
あんまり見ない気がするから、
ストーリーによっては新しく見えるかも知れない。
よく見る/あんまり見ないの判断は、
あなたがどれだけ過去の作品を見てきたかで決まる。
普通よくあるたとえ話は、
ベタであり、誰もが考えつく陳腐かも知れない。
ベタであっても強いなら、
それを採用することもあっても良いかもだが。
あなたの話のテーマはなんだろう?
それをどういうビジュアルで、
さりげなく、
あるいは真正面から提示しているだろうか?
それが新規性があり、強い表現ならば、
映画的なイコン、
その物語を象徴する絵を得たと言えるだろう。
(たとえば「青い鳥」なら、
「青い鳥が家の庭にいた」という場面。
「賢者の贈り物」なら、
「夫は腕時計を売って櫛を買い、
妻は長い髪を売って時計のバンドを買う」場面だろう)
逆にいうと、
そのような場面がない映画は、
ヘソがないと思う。
2018年07月07日
この記事へのコメント
コメントを書く