2018年07月07日

テーマとビジュアル

小説や演劇ではどうか分からないが、
映画においては、
テーマに関係するビジュアルを用意するものだ。


たとえば、
「人には二面性がある」というテーマだとしよう。

それはたとえば、
「違う方向から見ると形が全然違う彫刻」
で象徴することが出来る。

大昔の大映ドラマ「ヤヌスの鑑」では、
ヤヌス像(二つの顔を持つ神)で象徴していた。

上のテーマは「人には裏表がある」とも言い換えられる。

じゃあたとえば、
「お好み焼きをひっくり返す」とか、
「服の裏表で示す」とか、
「札やコインの裏表で示す」とか、
「影が二つの方向に出る」とか、
「前と後ろで模様の違う服」
などなどで象徴できる。

これらは、小道具というビジュアルで、
テーマを表現したものだ。
もしお好み焼きで人の二面性を象徴するとしたら、
裏表がない人は、焼きそばで表現できるかも知れない。

つまり、
ビジュアルで表現されたテーマは、
例え話になるわけだ。


小道具という具体的なものになることで、
これに操作を加えられる。
動詞を含めて表現できる。

服の裏表で二面性を表現するなら、
そんな服を「脱ぐ」という動作を用いれば、
「二面性を嫌って裸になる」
ことを意味できる。

「前と後ろで二面性を表現する」なら、
「横に動く」ことは第三の解の存在を示唆できる。


たとえ話は、
ただたとえただけではつまらない。
そのビジュアル(象徴)を使った、
操作までして初めて意味がある。

女の命は儚く、花のようである、
とたとえたなら、
その花をいくつ摘み取れるかな、
とヤリチンの発言に絡めるとか、
温度さえあればいつでも花が咲くアラマンダという花を用いて、
まだ終わってないとセリフで言わせることも可能だ。


映画の場合、
とくにテーマをビジュアルに託す事が多い。

それは記憶に残るビジュアルになるだろう。

逆に、ビジュアルで表現できないテーマは、
あまりこころに残らないに違いない。

なんだっけ、と思い出すとき、
人は言葉や音楽のような時間軸の必要なものより、
時間軸のいらない写真のほうが圧倒的に楽だからだ。

鮮烈な記憶というのは、
たいてい静止画である。



ということで、
ビジュアル、象徴に、
テーマを託せるだろうか?

新しい、テーマとビジュアルの結びつきを、
発明しているだろうか?

たとえば上に挙げた中では、
人の二面性をお好み焼きで表現したのは、
あんまり見ない気がするから、
ストーリーによっては新しく見えるかも知れない。

よく見る/あんまり見ないの判断は、
あなたがどれだけ過去の作品を見てきたかで決まる。

普通よくあるたとえ話は、
ベタであり、誰もが考えつく陳腐かも知れない。
ベタであっても強いなら、
それを採用することもあっても良いかもだが。



あなたの話のテーマはなんだろう?
それをどういうビジュアルで、
さりげなく、
あるいは真正面から提示しているだろうか?

それが新規性があり、強い表現ならば、
映画的なイコン、
その物語を象徴する絵を得たと言えるだろう。
(たとえば「青い鳥」なら、
「青い鳥が家の庭にいた」という場面。
「賢者の贈り物」なら、
「夫は腕時計を売って櫛を買い、
妻は長い髪を売って時計のバンドを買う」場面だろう)


逆にいうと、
そのような場面がない映画は、
ヘソがないと思う。
posted by おおおかとしひこ at 11:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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