ちょっと極論かもしれない。
タイトルはキャッチコピーになるべきだと思う。
ベストのタイトルのつけ方は難しい。
それこそ、本編を書くぐらい難しいといっても良い。
理想のタイトルは、
見たことない人に、面白そうという輝きを放ち、
見ている最中に、そういう意味だったのか!と膝を打たせ、
見た後にも、これぞこの作品の本質だ、と心に刻まれる、
ものであるべきだ。
名作であるキャッチコピーも、そのようなものであるべきだ。
キャッチーで、新しく、
心に刻まれるべきものであるべきだ。
たとえば、
「2001年宇宙の旅」は、
よくできたタイトルである。
70年代、冷戦下の宇宙開発が時代背景だ。
30年後の未来では、
宇宙に滞在することなど当然、
というほどの膨らむ夢がタイトルに入っている。
当時、「宇宙が日常になる」というのは、
新しい考え方だった。
全く新しいのではなく、
この進歩の具合があれば、
そのような夢があり得る、
というキャッチコピーであった。
2001年もキリがいい。
2000年の方がキリがいいが、
「はじまった」感は1の方が出る。
つまり、「2001年宇宙の旅」は、
当時、猛烈にキラキラしていた、
新時代のことであった。
僕はリアルタイムで小学生だったので、
その空気だけは覚えている。
何せ親父が見たいからという為だけの理由で、
家族づれで映画館に行ったのだ。
(僕は30分くらいで寝て、スターチャイルドあたりで起きた)
今は時代背景が違うから、
そのような時代の空気をそのまま持ってきてもリアリティはない。
火星生活あたりはギリギリかも。
ところで、
「2001年宇宙の旅」の原題は、
「2001: Space Odyssey」だ。
Odysseyはオデッセイアの叙事詩で、
「長期冒険旅行」の意味で使われることがある。
もちろんホメロスの教養のない日本人にとって、
これを「宇宙の旅」と簡潔に訳した、
映画会社のコピーライターは素晴らしい仕事をしている。
勿論Odysseyの指し示す意味とは、
言葉的にはズレもある。
しかし「宇宙の旅」のほうが、
より夢が膨らむので、
邦題の方がいいタイトルだと僕は思う。
ちなみにこれを下敷きにしていると思われる邦題
「オデッセイ」(原題: Martian)は、
ホメロスなど知らない、
「2001年宇宙の旅」の原題も知らない、
ホンダの車くらいしか連想できない日本人、
という「ふつうの言葉の感覚」を持たない、
クソコピーライターによる邦題である。
これに関しては過去記事で検証した。
僕はいまだに、
「火星救出作戦」(脱出作戦でも)がいいと思っている。
キャッチーで、
新しい概念を提出しているからである。
べつに「レスキューザマーズ」でもいいけど。
タイトルが、新しい概念を示さない場合、
それはほかに埋もれてしまうということだ。
キャッチコピーで、「省エネNo.1!」といっても意味がないのと同じだ。
それは新しい概念ではないので、何も残らない。
ノイズにかき消されてしまう。
記憶に残り、ひっかかり、人の手を引くのは、
新しい概念だ。
「恋は遠い日の花火ではない。」は、
僕が良く引用する名作コピーだが、
恋は若者だけのものじゃないんたよ、
と、概念を新しくしたことが、
このコピーの功績だ。
つまり、
良いキャッチコピー、
良いタイトルは、
私たちの概念を更新する。
そういう考え方、
物事の捉え方があることを知らしめ、
いいな、使えるな、と思わせ、
文化になるレベルになるべきだ。
だから芸術なのだ。
ラノベのタイトルは、殆どがゴミだと思う。
内容紹介に終始している。
それはコピーで言えば、
省エネNo.1、○○機能付き、○○保証、
なんてスペックを並べているだけの、
ボディコピーに過ぎない。
それらのスペックを一つにしたとき、
「どのような新しい概念を提出するのか」
に答えるべきなのが、タイトルだと僕は考える。
ラノベのタイトルの中で、
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」は、
僕はとても評価している。
読んでないのでそれが内容に妥当かどうかは判別できないが、
少なくとも、
妹萌えの中でも、欲望寄りではない育成方向の感覚で、
妹を見る、しかもコンプレックスは拗らせる、
新しい考え方を提出したと思う。
この「新しい感覚」の提出こそがタイトルであり、
出来るなら、その感情に名前をつけるべきであり、
それがキャッチーであるべきだったけど。
物語のタイトルではないが、
「不気味の谷」というのはいいネーミングだ。
新しい概念を提出している。
学術用語は新しい概念を提出するのが常だが、
それが「○○(人名)の法則」「○○(カタカナ)効果」
ではなく日常用語を使うと秀逸だ。
僕が好きなのは、
「談笑する哲学者の問題」だ。
ただの日常用語なのに、
とても気になる新しい概念を提出している。
ちょっと厨二だが、
「カクテルパーティ効果」「シュレディンガーの猫」
「事象の地平面」もいいよね。
これらは、僕なりの理論でしかないことは、
断っておく。
だから僕は人名だけをタイトルにするのは、
あまりいいと思っていない。
「ジャックリーチャー」とか最悪だ。
「ロッキー」は、
「岩のような信念の男」の俗語があるので、
タイトルとして意味があると僕は考える。
政治家ならともかく、
ボクシングとの掛け合わせが、
当時は新しかっただろうからだ。
そのタイトルは、
新しい概念を提出しているか?
一発で理解できない概念でもよい。
それは謎の提出ということだ。
なんか気になるタイトルというのは、
キャッチーで、謎を提出している、ということだ。
そしてそれが物語の本質になっていて、
かつそれが新しい概念を提出していれば、
最高である。
タイトルは入り口であり出口である。
しかしそれは平凡であるべきではない。
内容と同等にだ。
2018年07月08日
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