2018年07月08日

タイトルは、新しい概念を示すべきだ

ちょっと極論かもしれない。

タイトルはキャッチコピーになるべきだと思う。


ベストのタイトルのつけ方は難しい。
それこそ、本編を書くぐらい難しいといっても良い。

理想のタイトルは、
見たことない人に、面白そうという輝きを放ち、
見ている最中に、そういう意味だったのか!と膝を打たせ、
見た後にも、これぞこの作品の本質だ、と心に刻まれる、
ものであるべきだ。


名作であるキャッチコピーも、そのようなものであるべきだ。

キャッチーで、新しく、
心に刻まれるべきものであるべきだ。


たとえば、
「2001年宇宙の旅」は、
よくできたタイトルである。

70年代、冷戦下の宇宙開発が時代背景だ。
30年後の未来では、
宇宙に滞在することなど当然、
というほどの膨らむ夢がタイトルに入っている。

当時、「宇宙が日常になる」というのは、
新しい考え方だった。
全く新しいのではなく、
この進歩の具合があれば、
そのような夢があり得る、
というキャッチコピーであった。

2001年もキリがいい。
2000年の方がキリがいいが、
「はじまった」感は1の方が出る。

つまり、「2001年宇宙の旅」は、
当時、猛烈にキラキラしていた、
新時代のことであった。
僕はリアルタイムで小学生だったので、
その空気だけは覚えている。
何せ親父が見たいからという為だけの理由で、
家族づれで映画館に行ったのだ。
(僕は30分くらいで寝て、スターチャイルドあたりで起きた)

今は時代背景が違うから、
そのような時代の空気をそのまま持ってきてもリアリティはない。
火星生活あたりはギリギリかも。


ところで、
「2001年宇宙の旅」の原題は、
「2001: Space Odyssey」だ。
Odysseyはオデッセイアの叙事詩で、
「長期冒険旅行」の意味で使われることがある。
もちろんホメロスの教養のない日本人にとって、
これを「宇宙の旅」と簡潔に訳した、
映画会社のコピーライターは素晴らしい仕事をしている。

勿論Odysseyの指し示す意味とは、
言葉的にはズレもある。
しかし「宇宙の旅」のほうが、
より夢が膨らむので、
邦題の方がいいタイトルだと僕は思う。

ちなみにこれを下敷きにしていると思われる邦題
「オデッセイ」(原題: Martian)は、
ホメロスなど知らない、
「2001年宇宙の旅」の原題も知らない、
ホンダの車くらいしか連想できない日本人、
という「ふつうの言葉の感覚」を持たない、
クソコピーライターによる邦題である。
これに関しては過去記事で検証した。
僕はいまだに、
「火星救出作戦」(脱出作戦でも)がいいと思っている。
キャッチーで、
新しい概念を提出しているからである。
べつに「レスキューザマーズ」でもいいけど。




タイトルが、新しい概念を示さない場合、
それはほかに埋もれてしまうということだ。
キャッチコピーで、「省エネNo.1!」といっても意味がないのと同じだ。
それは新しい概念ではないので、何も残らない。
ノイズにかき消されてしまう。

記憶に残り、ひっかかり、人の手を引くのは、
新しい概念だ。
「恋は遠い日の花火ではない。」は、
僕が良く引用する名作コピーだが、
恋は若者だけのものじゃないんたよ、
と、概念を新しくしたことが、
このコピーの功績だ。

つまり、
良いキャッチコピー、
良いタイトルは、
私たちの概念を更新する。

そういう考え方、
物事の捉え方があることを知らしめ、
いいな、使えるな、と思わせ、
文化になるレベルになるべきだ。

だから芸術なのだ。


ラノベのタイトルは、殆どがゴミだと思う。
内容紹介に終始している。
それはコピーで言えば、
省エネNo.1、○○機能付き、○○保証、
なんてスペックを並べているだけの、
ボディコピーに過ぎない。
それらのスペックを一つにしたとき、
「どのような新しい概念を提出するのか」
に答えるべきなのが、タイトルだと僕は考える。

ラノベのタイトルの中で、
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」は、
僕はとても評価している。
読んでないのでそれが内容に妥当かどうかは判別できないが、
少なくとも、
妹萌えの中でも、欲望寄りではない育成方向の感覚で、
妹を見る、しかもコンプレックスは拗らせる、
新しい考え方を提出したと思う。
この「新しい感覚」の提出こそがタイトルであり、
出来るなら、その感情に名前をつけるべきであり、
それがキャッチーであるべきだったけど。


物語のタイトルではないが、
「不気味の谷」というのはいいネーミングだ。

新しい概念を提出している。

学術用語は新しい概念を提出するのが常だが、
それが「○○(人名)の法則」「○○(カタカナ)効果」
ではなく日常用語を使うと秀逸だ。
僕が好きなのは、
「談笑する哲学者の問題」だ。

ただの日常用語なのに、
とても気になる新しい概念を提出している。
ちょっと厨二だが、
「カクテルパーティ効果」「シュレディンガーの猫」
「事象の地平面」もいいよね。



これらは、僕なりの理論でしかないことは、
断っておく。

だから僕は人名だけをタイトルにするのは、
あまりいいと思っていない。
「ジャックリーチャー」とか最悪だ。
「ロッキー」は、
「岩のような信念の男」の俗語があるので、
タイトルとして意味があると僕は考える。
政治家ならともかく、
ボクシングとの掛け合わせが、
当時は新しかっただろうからだ。



そのタイトルは、
新しい概念を提出しているか?

一発で理解できない概念でもよい。
それは謎の提出ということだ。
なんか気になるタイトルというのは、
キャッチーで、謎を提出している、ということだ。
そしてそれが物語の本質になっていて、
かつそれが新しい概念を提出していれば、
最高である。

タイトルは入り口であり出口である。

しかしそれは平凡であるべきではない。
内容と同等にだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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