久しぶりに15分用のオリジナルを書いたんだけど、
やっぱり一幕が1分ほど長く、
第一ターニングポイントが6分に来ていたので、
一幕を削ることを考え始めている。
何故一幕はこんなにも長くなってしまうのか?
それは、
「自分がその作品に慣れるまで」の時間ではないか?
観客が作品に慣れる時間と、
作者が作品に慣れる時間は、
全く違う時間軸が流れている。
作者が作品に慣れる時間はいつだろう。
一幕の終わりで、「一通りの世界」に慣れて、
二幕からミッドポイントあたりまでで、
ようやく「風呂敷を広げてキャラに慣れて」、
くるのではないか?
つまり、
作者が世界に慣れて自在にコントロールできるようになるのは、
後半戦だとぼくは思う。
何日か宿に滞在するような時、
その部屋に慣れてきたのがようやく最終日、
みたいな経験に似ている。
最初はなにもかも新しく、
それを把握するので精一杯で、
そうこうしているうちに半ばを過ぎて、
ストーリーをまとめにかからないといけなくなる、
そんな感覚ではないだろうか。
キャラクターが勝手に動き出すのも、
後半戦になってからだろう。
作者が世界を自由に泳げるようになって、
ようやくだ。
世界に慣れるということはどういうことか?
「初めて触るものがないとき」かも知れない。
一回書いたところは慣れてて、
2回目3回目に書くときは、
すっかり家みたいになっているかも知れない。
だから、
一幕は、理想から長くなってしまうのだ。
理想というのは、
「観客のリズム」のことである。
観客は、
「作者はその世界の全てに慣れてて、
支配しきっている」という前提で鑑賞をはじめる。
まさか「初めて泊まる宿のように、
あちこちを開けては閉めて確認している最中」
だなんて思ってもいない。
さっさと魅惑的な世界へ連れてってほしい。
その差だ。
観客が世界に慣れるのは、
おおむね15分、一幕の半分程度だとぼくは思う。
それがどういうジャンルの話か、
コメディなのかシリアスなのか、
大袈裟なのか繊細なやつなのか、
空気感に慣れてきて、
鑑賞の方向性を決めるのは、
高々10分程度だとぼくは思う。
そんな部分で、
作者がまごまごと扉を開けたり閉めたりしていてはいけない。
必要な時にしか扉を開け閉めせず、
むしろわざと閉じておいて、
この先には闇があると脅して、
開くのを引っ張らなければならない。
探り探り書いている場合ではないのだ、本来。
しかしながら、初めて作者も書くのだから、
どうしても一幕は齟齬が生じる、
というわけなのだ。
だから、リライトは必須なのである。
書き終えて、世界の後半に慣れた人として、
もう一回、
「この世界に没入するにはどうすれば面白いか?」
を考え、
余計なノイズを切り、
さっさと本題に入れるような書き方にするべきなのだ。
作中一回も開けない扉など書く必要はないのである。
観客に見せるものの内容と順番を練ること。
どうやったら面白く巻き込めるかを考えること。
そうすれば、
一幕をタラタラやってる場合じゃないとわかるはずだ。
あなたがその世界に慣れていくのではない。
観客がその世界に慣れて、自在に想像で遊べるようになるには、
どうすれば良いか考えること。
そのために一幕の前半という役割がある。
一般則で考えると、
「必要なものだけをたっぷり描き、あとは省け」
ができるかどうかだね。
2018年07月15日
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