2018年07月15日

【薙刀式】思考速度と打鍵速度

湧き水と、汲むことにたとえて考える。


思考速度が速い時は、
湧き水のように言いたいこと、書きたいことが出てくる。
それを汲み取る、つまり書く時は、
手一杯で忙しい。

だけどそれはいつか尽きる。

最初に「書こう」と思った時は、
たっぷり水があるから書けると思うのだが、
そのペースでは水が湧いてこず、
汲むべき手が止まる。

そういう時は手を止めてひたすら待ち、
溜まったらまた書きはじめる。

湧いてこなくなったら、
立って歩いたりトイレに行ったり茶を淹れたり、
(僕は煙草は吸わないが、ここで吸う人もいるよね)
スマホを見始めたり、
寝っ転がったり場所を変えたりする。

1秒待つのか。(手を止める程度)
10秒待つのか。(茶をひとくち飲む程度)
5分待つのか。(トイレに行く程度)
15分か。(スマホで何かを見始める程度)
1時間か。(誰かと話すかも知れないね)
明日か。(そのままやらなくなることも、ある)


なぜ、どうやって考えが湧いてくるのか、
私たちにはわからないので、
待つしかない。

あるいは、既に湧いた部分をもう一度眺めたり、
別の角度から見直してみると、
次に書くべきことが湧いてくることもよくある。

書く行為において、
この、書いていない時間と、
書いている時間の、
どちらが長いのだろうか?



実際のところ、
書いている最中にも湧きだしている。
書かれた言葉によって、
次の言葉を思いつくことがかなりあると思う。

アクションとリアクション、
ボケとツッコミのような連鎖反応として、
書かれたものと次に書かれるものの関係があることが、
とても多い。

いや、書くこととは一連の流れのことであるから、
連関していないものを書くわけではなく、
つまりは書くこととは連鎖反応である、
ということも言えるかも知れない。


僕が音声入力に否定的なのは、
この連鎖がうまくいかないからだ。
口述筆記は論旨が揺れる、
というのは口述筆記やインタビューの常識だ。
だからインタビュアーが適切に脱線を戻す役割を果たさないと、
インタビューは一連の流れになりづらい。

そもそも人の長い話は脱線をするものだ、
というデジタル以前の知恵がそこにある。

もちろん、その脱線力によって、
新しい発想や組み合わせに至ることがあるから、
ある程度の脱線はいい刺激になるので、
脱線全否定ではない。
問題は制御だ。

口述筆記やインタビューは二人一組であるから、
客観者が脱線の程度を判断できる。
音声入力に僕が否定的なのは、
これが一人であることだ。

もっとも、
脱線しない範囲の入力、
湧いた水を一気に汲む程度の仕事なら、
音声入力は威力を発揮するかも知れない。
(僕の経験では、それは1000字から3000字くらいまで)

あるいは、
インタビュー録音の文字起こしを音声入力にやらせる、
というのは最近僕の周りでも何回か見た。

僕の周りはプロの世界だから、
録音部がちゃんといるような、
いいマイクと録音環境が前提かも知れない。
室内撮影に限って、ロケは無理とも言っていた。
インタビュアーが的確に答えを誘導しているから出来ているかも。


いずれにせよ、
5000字や1万字程度を、
ため池に貯められる人はいないのではないか?
というのが僕の経験だ。

(長篇小説10万字(単行本一冊程度)を書く時は、
半年準備して、1万字程度のプロットや、
メモやセリフや描写のスケッチを100枚近く書いた)



前置きが長くなったが、
だから、
書くこととは、
既に湧いた水を汲むことではない。

書くことは、
汲んでは待ち、どうにかして湧かせ、
再び汲む行為の連続だ。



配列作者あるいは入力のことに言及する人たちが、
どれだけこのことを意識しているのかわからない。
(毎日5000字書くということをしていない人たちなのだろう、
という予想をなんとなくしている)


水の湧いてくる速度は思考速度、
汲む速度は打鍵速度だと考えられる。

そもそもそれを分単位で考えることに、
僕は納得がいっていない。


僕が発表し続けているカタナ式や薙刀式の速度表記は、
10分速だ。
時速でもいいんだけど、
時間単位になると最低3時間程度は作業しなければ、
妥当な平均速度の計測量とはいえない。
なかなかそこまで書くべきことは溜まらないものだ。

30分速あたりがリアルだろうな。
中途半端なので、10分あたりの文字数で計測している。


だとしても、
最初の10分と、
だいぶ後の10分は全然速度が違う。
「書こうかな」と思う時には、
たいていは水が湧いた状態だからだ。
(ちなみにプロは枯渇していても書きはじめる訓練を、
どこかでしているものだ)

後半になればなるほど、
湧き待ちが増える。
立つ回数が増えるわけだ。


理想は、
汲んでる速度と湧いてる速度が一致している状態だと思う。
しかしそんなの、
全工程で半分あるかな、って感じ。



ようやく、打鍵速度の話。

勝間氏の200字/分はやはり信じがたい。
その速度で湧いてくる水はないとぼくは思う。
(仮説だが、頑張って1500字/10分あたり)

この数字は、
十分に湧いた水があった時の、
最初の5分から10分程度を記録したものではないか?
というのがぼくの予想だ。
(変換後の文字数という情報から、
タイピングゲームでの計測の線は薄い)

だとしたら、
タイピングゲームのような物凄い速度での打鍵は可能だ。

タイピングゲームは1分そこらだから出来る世界で、
あれで3時間打ってみろよって感じ。
(Xタイパーの世界は僕は無理なので、負け惜しみも入っている)

だからタイピングゲームはあくまで
「指の速度」の計測に過ぎず、
「書く速度」の計測じゃないとぼくは考えている。


水が溜まっているときの初速は速い。
僕のqwertyローマ字は遅くて、
これに耐えられなかった。
薙刀式の1500字/10分くらいが僕のダム解放の限界あたりなので、
これだけあれば、
配列としては十分だと考えている。

実際は、
汲む速度=湧く速度になったときが、
本当の書く速度ではないかと考える。

だいたい最初の方貯めた水が減ってきた、
書き始めてから30分後とかそんなイメージ。
それで1500なんて出なくて、
500から700あたりじゃないかなあと僕は見積もっている。

一時間も休まず書き続ければ、
600とかそのあたりじゃないかなあ。


それぐらいのスパンで考えることが、
今のところの僕の、「書くことを考える」という広さだ。
それに対して、
勝間氏の「分速200字」は、
書く文字数が少な過ぎじゃね?
と眉唾で見ている。

このへんは30分以上彼女が文章を作る様を見ないと、
答えがわからないところだけどね。



初速度の速さをもって、しかも最初の数分程度の計測で、
「分速○字」なんて、
「書くこと」だろうか?

それでできることは1000とか2000字くらいじゃないのかなあ。


いや、勝間氏が化け物の可能性はある。
なにせ西尾維新は2万字/日書くらしいからね。
一日8時間やるそうな。
いや、6時間が限界だなあ俺は。
快適なのは4時間くらいかな。

速さを競うことに、
だから僕はどうでもいいと最近思うようになっていて、
10分1000字書ければ、
それ以上の速度追求は、趣味じゃないかと思っている。
(まあタイパーは全員趣味って言うだろうけれど)



思考に手が追いつかないのは論外だ。
qwertyローマ字は僕には論外だった。
(530字/10分。これでも周りでは速い方だったさ)

カタナ式開発でようやく1000に乗った。
でも1万字打つのは打鍵数的につらくて、
カナ配列に転向した。

親指シフトを触ったけど、薬指小指がつらくてマスターを諦めた。
同手と逆手で、脳が混乱して嫌になった。
飛鳥配列はマスターしたが、薬指小指がつらくて辞めた。
鏡像で間違うのに苦しんだ。
下駄配列は快適だったが、思うところに思う字がなくて中断。

自作に踏み切ったのは、
これらを全部解消したかったから。

で、
10分1000字に至ると、
そもそもそんなに速く汲まなきゃいけないのは、
最初の30分くらいだよな、
と気づくわけなのだ。


このへんを、
数字こみで把握している人は、
ほとんどいないかも知れない。

サンプルが少なすぎる。
親指シフト系作家は、もう「楽」一辺倒だ。
(歳を取って速度に興味がなくなったのもあるかもね)



若い人の中には、
どれくらい速度があれば自分の水を汲めるのか、
測定していない人がいるだろう。

もし配列を検討することになったら、
まず湧き水の速度と、
汲む速度を測ってみることをオススメする。

(正確に測ると、
コンピュータを使わざるを得なくてループにはまるので、
汚い字でよいから最速の字で手書きし、
数千字程度書いてサンプルを取り、
それを清書する二度手間をやって、
ようやく数値化できることになる。
それを打つ速度も計測しておくと一石二鳥だったり)



これらを巡航速度といったりして、
最高速度と区別することがある。

以前のパソ活さんの指摘の、最高速度と平均速度の差というのは、
このような問題を孕んでいて、
「平均速度」というと、
10回タイピングゲームをやったときにもそう言うから、
本当に書くときのことを考えて、
僕は巡航速度という言葉を使うことにしている。


親指シフトは巡航速度はそこそこ速いが、
本当にいい道具なのだろうか?
意識高い系の人々の、
無批判なデファクトスタンダードにしか、
現在なっていないのではないか?

書く道具は人によって合いがあるから、
親指シフト以外にも配列はたくさんあって、
キーボードも沢山あって、
万年筆も沢山ある、
ということを知ってもいいと思う。


それらを知れたあとは、
次は「自分に合うのは何か」を探る段階で、
自分の何を測定しておけば判断できるかを、
いつかまとめたいなあと思っている。




(それよりもNiZを買えば、半分ぐらい問題は解決してしまうんだよな。
この軽さとポータビリティなら、
qwertyローマ字のままでも問題を感じなかったかもだ)
posted by おおおかとしひこ at 15:45| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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