2018年07月19日

みんな、「自分だけは普通」と考えている

どんな人でも、「俺は最高」「俺は幸せ」と考えているわけではない。
そうだとしたらよっぽどのバカだ。

大概の人は、右や左を見て、
「自分は大体普通」だと思っている。


それでも他人から見たら突出した能力があることが多くて、
人間の不思議さを思う。

どんなスポーツ選手でも、
偉大なる記録者やライバルたちを見て、
「自分は平凡で普通だ」と思っている。
「勝てたのはたまたまで努力が実ったが、
次はどうなるかわからない」と考える。

どんな人生の成功者でも、
ほかの成功者を見るから、
一番を10年続けたって、
「その中では普通」だと考える。

逆も同じで、
不幸になっても、ほかに不幸な人を知ると、
「まあ普通かな」と思える。

ただし苦痛は別だ。
他の人が苦痛だからといって、
自分の苦痛が和らぐわけではない。

不幸で苦痛な人は、
だから世界で最悪だと自分のことを考えていて、
さしあたり苦痛がなければ、
「苦痛の部分以外は大体普通」だと考えている。


つまり、
人の感情や行動は、
苦痛の多寡にコントロールされている。

苦痛がない時余裕があり、落ち着き、
苦痛があるときは周りが見えず、そればかり考える。



あくまで僕の見立て。

こんな風にして、
人物設計をしたり、
世界を作ったり、
事件にどう関わるか考えたり、
ある場面でどう考え、どういう決断をするのか、
想像を巡らせることは、
ストーリー作りの役に立つ。

そしてそれを応用して、どこかの場面に使うとか、
リライトのときに、
不自然なものを自然に見せることが出来るようになる。
posted by おおおかとしひこ at 10:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。