どんな人でも、「俺は最高」「俺は幸せ」と考えているわけではない。
そうだとしたらよっぽどのバカだ。
大概の人は、右や左を見て、
「自分は大体普通」だと思っている。
それでも他人から見たら突出した能力があることが多くて、
人間の不思議さを思う。
どんなスポーツ選手でも、
偉大なる記録者やライバルたちを見て、
「自分は平凡で普通だ」と思っている。
「勝てたのはたまたまで努力が実ったが、
次はどうなるかわからない」と考える。
どんな人生の成功者でも、
ほかの成功者を見るから、
一番を10年続けたって、
「その中では普通」だと考える。
逆も同じで、
不幸になっても、ほかに不幸な人を知ると、
「まあ普通かな」と思える。
ただし苦痛は別だ。
他の人が苦痛だからといって、
自分の苦痛が和らぐわけではない。
不幸で苦痛な人は、
だから世界で最悪だと自分のことを考えていて、
さしあたり苦痛がなければ、
「苦痛の部分以外は大体普通」だと考えている。
つまり、
人の感情や行動は、
苦痛の多寡にコントロールされている。
苦痛がない時余裕があり、落ち着き、
苦痛があるときは周りが見えず、そればかり考える。
あくまで僕の見立て。
こんな風にして、
人物設計をしたり、
世界を作ったり、
事件にどう関わるか考えたり、
ある場面でどう考え、どういう決断をするのか、
想像を巡らせることは、
ストーリー作りの役に立つ。
そしてそれを応用して、どこかの場面に使うとか、
リライトのときに、
不自然なものを自然に見せることが出来るようになる。
2018年07月19日
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