ここ考えを応用すると、
感情移入を作りやすくなる。
映画の主人公にふさわしい人は、
「ごく普通の平均的な能力しかない人間」ではなく、
「突出した何かがある人間」のほうが向いていると僕は考えている。
そうでないと、いざという時の活躍に説得力がないからだ。
特技のようなものがないと、
「平均的能力で突破できる状況」しか描けず、
それは非日常を描くべき映画としては、
平凡なストーリーにしかならないということだ。
しかし、
非凡な人を主人公にしてしまうと、
平均的な我々は感情移入できないのではないか?
と思ってしまう。
これは素人考えである。
非凡な人ですら、
「自分は普通」と思っているとしたら、
「私たちと似たような人間」である。
ああ、こんなにすごい人ですら、
コンプレックスに苦しんだり、
詰まらないことで当たり散らしたりしまったり、
小市民のようなことをするんだなあ、
と思えたら、
「違う人だけど、僕らと同じような人」
という感情が芽生える。
それが感情移入である。
たとえばイチローを例にとろう。
イチローを主人公に映画にするには?
あんなにストイックで、
24時間野球に捧げて、
独自の理論を作り、日々検証し、
美学をも持っている、
凡人ばなれした男を主人公に?
そこは感情移入できる部分ではない。
どうすればよいか?
簡単だ。
イチローのTシャツのセンスが物凄い、
というのを利用するのだ。
(知らない方は画像検索すればいっぱい出てくる)
「自分ではイケてると思ってるTシャツを着るのに、
何故か叩かれて、凹み、
工夫しては新しいのを買うのに、
また叩かれて凹む」
というエピソードを用意すればいいのである。
これはファッションに悩む、
平凡な庶民そのものだ。
あんなにすごい人でも、
ファッションに関しては一緒だなあ、
と思うと、親しみが湧いてくる。
それが感情移入だ。
他にも、偏食なんて要素を持ってきてもよい。
給食で最後まで食べられず残されているイチロー少年や、
会食に呼ばれるが偉い人を前に、
涙を飲みながら嫌いなものを食べる、
なんてエピソードを作ればよい。
そうなると、我々と一緒だなあ、
と思うことになるはずだ。
あるいはこと野球のことでも、
「自分より成績のいいやつにものすごく嫉妬する」とか、
「悔しくてその人を避けようとする」
「その人の名前でエゴサーチして欠点を見つける」
なんて普通の人の反応をすれば、
あんなにすごい人でもそこは普通の人間なんだなあと思う。
これも、感情移入になる。
つまり。
「この人も普通だ」と思わせればよい。
ギャップだ。
最初に凄いという設定をしておいて、
あとで普通の面を出せばカワイイと思われるのだ。
その時、ああ、この人も我々と同じ人間なんだ、
と思える立ったエピソードを作れれば、
どんな人でも主人公になり得る。
宇宙人でも、ロボットでも、幽霊でも怪物でもだ。
映画は人間のドラマである。
イチローが主人公になるとしても、
決してその怪物部分を2時間描くのではない。
活躍は30分ぐらいで、
残り90分は、人間の柔らかい部分のドラマになるはずだ。
2018年07月20日
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