2018年07月20日

普通2

ここ考えを応用すると、
感情移入を作りやすくなる。


映画の主人公にふさわしい人は、
「ごく普通の平均的な能力しかない人間」ではなく、
「突出した何かがある人間」のほうが向いていると僕は考えている。

そうでないと、いざという時の活躍に説得力がないからだ。
特技のようなものがないと、
「平均的能力で突破できる状況」しか描けず、
それは非日常を描くべき映画としては、
平凡なストーリーにしかならないということだ。

しかし、
非凡な人を主人公にしてしまうと、
平均的な我々は感情移入できないのではないか?
と思ってしまう。

これは素人考えである。


非凡な人ですら、
「自分は普通」と思っているとしたら、
「私たちと似たような人間」である。

ああ、こんなにすごい人ですら、
コンプレックスに苦しんだり、
詰まらないことで当たり散らしたりしまったり、
小市民のようなことをするんだなあ、
と思えたら、
「違う人だけど、僕らと同じような人」
という感情が芽生える。
それが感情移入である。


たとえばイチローを例にとろう。

イチローを主人公に映画にするには?
あんなにストイックで、
24時間野球に捧げて、
独自の理論を作り、日々検証し、
美学をも持っている、
凡人ばなれした男を主人公に?

そこは感情移入できる部分ではない。

どうすればよいか?

簡単だ。

イチローのTシャツのセンスが物凄い、
というのを利用するのだ。
(知らない方は画像検索すればいっぱい出てくる)

「自分ではイケてると思ってるTシャツを着るのに、
何故か叩かれて、凹み、
工夫しては新しいのを買うのに、
また叩かれて凹む」
というエピソードを用意すればいいのである。

これはファッションに悩む、
平凡な庶民そのものだ。

あんなにすごい人でも、
ファッションに関しては一緒だなあ、
と思うと、親しみが湧いてくる。
それが感情移入だ。


他にも、偏食なんて要素を持ってきてもよい。
給食で最後まで食べられず残されているイチロー少年や、
会食に呼ばれるが偉い人を前に、
涙を飲みながら嫌いなものを食べる、
なんてエピソードを作ればよい。

そうなると、我々と一緒だなあ、
と思うことになるはずだ。


あるいはこと野球のことでも、
「自分より成績のいいやつにものすごく嫉妬する」とか、
「悔しくてその人を避けようとする」
「その人の名前でエゴサーチして欠点を見つける」
なんて普通の人の反応をすれば、
あんなにすごい人でもそこは普通の人間なんだなあと思う。
これも、感情移入になる。



つまり。

「この人も普通だ」と思わせればよい。

ギャップだ。

最初に凄いという設定をしておいて、
あとで普通の面を出せばカワイイと思われるのだ。

その時、ああ、この人も我々と同じ人間なんだ、
と思える立ったエピソードを作れれば、
どんな人でも主人公になり得る。

宇宙人でも、ロボットでも、幽霊でも怪物でもだ。


映画は人間のドラマである。

イチローが主人公になるとしても、
決してその怪物部分を2時間描くのではない。
活躍は30分ぐらいで、
残り90分は、人間の柔らかい部分のドラマになるはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 19:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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