僕がよく言うのは、
「扱う題材に対して、
全部調べたのか?あらゆる面白いことを考えて、
その中で圧倒的なベストを出しているのか?」
ということ。
これを称して、「全部掘る」という言い方を、
よくすることがある。
創作とはつまり鉱山を掘るようなものだ。
ある日何か光るかけらをみつけ、
そこの山に眠っている莫大な鉱脈、
つまりネタにして気づき、
とにかくがむしゃらに掘り返す。
出てきた石は、そのままじゃ使えない。
精錬し、無駄なものをそぎ落とし、
足りないなら何か別のものと組み合わせて窯変させる。
鉱山が尽きても、
あなたの中の鉱山を使うといい。
組み合わせによって、
あなたしか書けない話になるだろう。
で。
全部掘ったのか、ということ。
まだ考えていない、
同ネタでより面白いものがあるのなら、
あなたは全部を考え尽くしていない。
それは隅々まで掘っていないということ。
逆にいうと、
創作とは、
ある山を禿山にすることだ。
ずっと埋もれて熟成されたものを、
狩り尽くすことが、
創作だ。
もっとも、
掘り出したものをそのまま右から左に流していては、
創作ではなく狩りにすぎない。
創作とは、それをさらに練りこんで、
ひとつの宇宙に再編成することだからね。
だが、
ちょっと掘っただけで成功した気になってるやつは、
浅はかである。
その鉱脈に、
もっと深く意義深いものが眠っているかも知れないのに。
その題材を禿山にするまで考えたのか?
禿山にするまで調べて、
禿山の隣の山まで調べたか?
だから、自信は生まれるのだ。
これ面白いかなあという不安は、
「これ以上面白くならない」
までたどり着いていないことが原因だ。
禿山にしてなおその鉱脈が面白くならないなら、
あなたの山師としての勘が鈍いだけのことだ。
2018年07月24日
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