2018年07月24日

そこは全部掘ったのか?

僕がよく言うのは、
「扱う題材に対して、
全部調べたのか?あらゆる面白いことを考えて、
その中で圧倒的なベストを出しているのか?」
ということ。

これを称して、「全部掘る」という言い方を、
よくすることがある。


創作とはつまり鉱山を掘るようなものだ。

ある日何か光るかけらをみつけ、
そこの山に眠っている莫大な鉱脈、
つまりネタにして気づき、
とにかくがむしゃらに掘り返す。

出てきた石は、そのままじゃ使えない。
精錬し、無駄なものをそぎ落とし、
足りないなら何か別のものと組み合わせて窯変させる。

鉱山が尽きても、
あなたの中の鉱山を使うといい。

組み合わせによって、
あなたしか書けない話になるだろう。


で。

全部掘ったのか、ということ。

まだ考えていない、
同ネタでより面白いものがあるのなら、
あなたは全部を考え尽くしていない。

それは隅々まで掘っていないということ。


逆にいうと、
創作とは、
ある山を禿山にすることだ。

ずっと埋もれて熟成されたものを、
狩り尽くすことが、
創作だ。


もっとも、
掘り出したものをそのまま右から左に流していては、
創作ではなく狩りにすぎない。

創作とは、それをさらに練りこんで、
ひとつの宇宙に再編成することだからね。


だが、
ちょっと掘っただけで成功した気になってるやつは、
浅はかである。

その鉱脈に、
もっと深く意義深いものが眠っているかも知れないのに。


その題材を禿山にするまで考えたのか?
禿山にするまで調べて、
禿山の隣の山まで調べたか?

だから、自信は生まれるのだ。
これ面白いかなあという不安は、
「これ以上面白くならない」
までたどり着いていないことが原因だ。

禿山にしてなおその鉱脈が面白くならないなら、
あなたの山師としての勘が鈍いだけのことだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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