頭から書いていくと、
「何かを説明するだけに存在するエピソード」が、
浮いたままあることがよくある。
例えば主人公の生い立ち、
〇〇が嫌いな理由を説明するための小過去話、
〇〇がすごいというのを説明するためのエピソード。
なるほど、これはこれを説明するためにあるのだなあ、
ということを感心している場合ではない。
それは、はじめてふりかけや、ラストチャンスふりかけと同じかもしれない。
つまり、単なる下駄をはいているだけかもしれない。
あることを説明するために、
たんなる説明台詞にするよりは、
エピソードとして挿入するほうが、
物語的である。
だから小エピソードは印象的なものにするべきだし、
それがイコンになることもあるだろう。
それ自体は問題がない。むしろ推奨だ。
問題なのは、それが「何にもかかってこない」ことだ。
つまり、そのエピソードが出オチになっている、
ということなのだ。
逆にいうと、
そのような孤立しているエピソードを放置せず、
何かにつなげていくと、
「それは伏線だったのか」という驚きが生まれる。
いや、驚かせるつもりではなく、
最初から計画ずみであったのだ。
そのように見えるだろう。
孤立するエピソードはないか。
それだけで使っている、使い捨てのエピソードはないか。
それをあとで利用しよう。
主人公のトラウマシーンがあったとしたら、
それに関係するなにかが、
あとあと必ず出てくる。
その原因になったものや、人物が必ず出てくる。
それが映画というものだ。
そうなっていないものは、
ストーリーとして不十分であるということだ。
壁にかけられた銃は、あとで必ず使われる。
使われない銃は、削るべきである。
削らないなら、あとで使うべきである。
孤立しているエピソード探しをしよう。
そこと関連があることを、
だいぶあとでもよいから使おう。
そうやって、ストーリーは重層的になっていく。
2018年07月27日
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