前々記事の続き。
つまり孤立してる単独のエピソードなんてストーリーじゃない。
むしろ、
エピソードとエピソードの関係こそが、
ストーリーかもしれない。
主人公に嫌いなものがあり、
それは小エピソードで紹介される、としよう。
それで終わりで、二度と使われないならば、
それは孤立単独エピソードだ。
しかし、その小エピソードに出てきた人物や物が再登場したり、
今いる人物が実はその小エピソードに関係していたり、
その場所とこの場所が関係していたり、
その原因になった事件が、
実は今問題になっている事件と関係あるなど、
「繋がってきた」ときに、
話は面白くなり始める。
点と点を結ぶ線。
それこそがストーリーだからだ。
一見関係のないものに、
そのような道筋を見出し、
一本の線になっていくことが、
ストーリーの発見である。
あなた自身の発見はどうでもよくて、
観客が発見することが理想だ。
あれとあれは関係している…ということは!
と予測し始めると、
観客は乗ってくる。
線の繋がるその先が焦点になるからだ。
今のエピソードで問題になっている、
「この鍵でドアが開かないから、
壊してでも突破しなければならない」
ということと、
「主人公の嫌いなものに関係するものが、
このドアの向こうにある」
などと関係してくると、
それはエピソードとエピソードを結びつける関係性、
線というストーリーが生まれている、
ということになる。
あるいは、
エピソードABを結びつけるPと、
エピソードCDを結びつけるQの間に、
さらに階層が上の関係を作っても構わないし、
エピソードABを結びつけるPと、
エピソードBCを結びつけるQに、
関係を作っても構わない。
一本の線というのはあくまで比喩で、
1次元構造をしていなければならない、
ということではない。
こうして、
目の前にあるただの小エピソードのゆくえが、
PQを含んだ大きな出来事の決定に関係している、
とするのが、
ストーリーという関係性である。
そしてそれはしばしば、
「ボタンを押すか押さないか」
「赤の線を切るか青の線を切るか」
「右か左か」
「進むのか戻るのか」
「セクシーかキュートか」
などという、
単純な二者択一になることで、
イコン化されていく。
つまり、
目の前で起きていることの、
背景関係をたくさんリンクしていくことと、
目の前で起きていることをより単純化することで、
単位時間あたりの情報量を、
最大化しているわけである。
それをひとことで、文脈やコンテキストなどというり
ストーリーはエピソードではない。
その小単位(シーン単位が多いだろう)が、
どういう関係にあるかという、
メタエピソード構造を持っているということだ。
もし孤立エピソードがあるならば、
それを何かにリンクできて、
それぞれを活かせないか考えると良い。
(もちろん削っても良い)
2018年07月28日
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