2018年07月28日

エピソードとエピソードを繋ぐことがストーリーだ

前々記事の続き。

つまり孤立してる単独のエピソードなんてストーリーじゃない。
むしろ、
エピソードとエピソードの関係こそが、
ストーリーかもしれない。


主人公に嫌いなものがあり、
それは小エピソードで紹介される、としよう。

それで終わりで、二度と使われないならば、
それは孤立単独エピソードだ。

しかし、その小エピソードに出てきた人物や物が再登場したり、
今いる人物が実はその小エピソードに関係していたり、
その場所とこの場所が関係していたり、
その原因になった事件が、
実は今問題になっている事件と関係あるなど、
「繋がってきた」ときに、
話は面白くなり始める。

点と点を結ぶ線。
それこそがストーリーだからだ。

一見関係のないものに、
そのような道筋を見出し、
一本の線になっていくことが、
ストーリーの発見である。
あなた自身の発見はどうでもよくて、
観客が発見することが理想だ。

あれとあれは関係している…ということは!
と予測し始めると、
観客は乗ってくる。

線の繋がるその先が焦点になるからだ。


今のエピソードで問題になっている、
「この鍵でドアが開かないから、
壊してでも突破しなければならない」
ということと、
「主人公の嫌いなものに関係するものが、
このドアの向こうにある」
などと関係してくると、
それはエピソードとエピソードを結びつける関係性、
線というストーリーが生まれている、
ということになる。


あるいは、
エピソードABを結びつけるPと、
エピソードCDを結びつけるQの間に、
さらに階層が上の関係を作っても構わないし、
エピソードABを結びつけるPと、
エピソードBCを結びつけるQに、
関係を作っても構わない。

一本の線というのはあくまで比喩で、
1次元構造をしていなければならない、
ということではない。

こうして、
目の前にあるただの小エピソードのゆくえが、
PQを含んだ大きな出来事の決定に関係している、
とするのが、
ストーリーという関係性である。

そしてそれはしばしば、
「ボタンを押すか押さないか」
「赤の線を切るか青の線を切るか」
「右か左か」
「進むのか戻るのか」
「セクシーかキュートか」
などという、
単純な二者択一になることで、
イコン化されていく。


つまり、
目の前で起きていることの、
背景関係をたくさんリンクしていくことと、
目の前で起きていることをより単純化することで、
単位時間あたりの情報量を、
最大化しているわけである。

それをひとことで、文脈やコンテキストなどというり



ストーリーはエピソードではない。
その小単位(シーン単位が多いだろう)が、
どういう関係にあるかという、
メタエピソード構造を持っているということだ。


もし孤立エピソードがあるならば、
それを何かにリンクできて、
それぞれを活かせないか考えると良い。
(もちろん削っても良い)
posted by おおおかとしひこ at 16:49| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。