親指シフトをやろうとしたのは、
本格的に移行する気があるわけでなく、
薙刀式を相対的に見たいからだ。
で、思ったのは、
配列のマスターって、楽器に近いなと。
ギターが弾ける人が、
ドラムもできるようになるとか、
ピアノが弾ける人が、
バイオリンもできるようになるとか、
オーボエも草笛もやるとか、
そういう感じじゃないかな。
要するに、
思いと指をつなげるだけのことだから。
qwertyローマ字は、僕にとってひどい楽器だった。
思いが全然乗らなかったけど、
それしかないから我慢してた。
手書きなら問題ないのが、
デジタルに矯正させられ嫌だった。
カタナ式や薙刀式で、ようやく手書き並みの自由を得られた。
この方法は一通りじゃない可能性が勿論あって、
親指シフトが多くの人にとって、
苦しみからの解放になっている理由を僕は知りたかった。
でもほかの配列を覚えるってことは、
「その仕組みを手に、
無意識になるまで反復して覚えさせる」
ことに過ぎなくて、
理屈とかはあとからついてくるものだと思う。
ギターが弾けるから、
ピアノも弾けるようになったろ、
くらいの感覚だ。
そして全然違う原理で音が出る、
というのも楽器っぽい。
爪を丸め、左右の親指でリズムを作っていくような親指シフトの感覚は、
アルペジオとセンターシフトで打っていき、
同時打鍵で変化アクセントをつけ、
指紋で滑らせていくような薙刀式とは、
全く原理が違う楽器を弾いているかのようだ。
何かを極めれば他もできるようになるとか、
専業しかやらないとか、
どれも中途半端な人もいるとか、
一時期熱心にやったけど今はやってないとか、
そういう感じも楽器っぽい。
電車でギターケースを持っている人を見ると、
ギタリストは嬉しくなるだろう。
親指シフターがシフターに親切なのはそういう感じだろうね。
複数の楽器を試すくらいの感覚で、
みんな配列を試せばいいのに。
楽器より簡単だぜ。
やらないのは、
qwertyローマ字という楽器が、
最悪に楽しくない楽器だからだな。
フリックではみんなバリバリツイッターとかしてるし。
あなたにはもっと良い楽器があるかもしれない。
出会わなかっただけで。
世の中のミュージシャンはどうやってその楽器にたどり着いたのだろう?
その出会いや変遷を聞いてみたい。
たぶん、配列と全く似ているんじゃないかな。
楽器屋さんみたいに、
配列展示して自由に触れて、指導が受けられる場所があると、
いいのにねえ。
2018年07月29日
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