2018年07月31日

モンタージュ効果

モンタージュ効果という難しい言葉がついているが、
要は「順番が異なることで意味が変わってしまう」
という言葉でもおこることの経験則を、
映像でも適用しよう、
ということに過ぎない。


先日見たツイッターの例を。

バカ「そうだ! はずれ馬券を買わずに、
当たり馬券だけ買えば儲かる!」
議員「そうだ! 役に立たない研究費を削減し、
役に立つ研究だけを残せば、
効率よく科学は発展する!」


なかなかうまい批評だ。
科学研究費をめぐるバカな議論をバカと上手に言っている。

ところで、モンタージュを試みよう。

逆にしてみる。

議員「そうだ! 役に立たない研究費を削減し、
役に立つ研究だけを残せば、
効率よく科学は発展する!」
バカ「そうだ! はずれ馬券を買わずに、
当たり馬券だけ買えば儲かる!」


ん? バカがそれほどバカに見えなくなってくるね。
「一理あるのでは」と完全否定できなくなってくる感覚がある。

前のと見比べてみると、そのニュアンスはあきらかだ。
議員への「お前あほだろ」という感情が、
半分以下に減ってしまうような感覚がある。



数学では、
A=Bと、
B=Aは、
同じだと教えられる。

論理というのはそういうものだと。

しかし言葉や映像にひそむ非論理性は、
「与えられた順番で意味が異なってしまう」
という現象があるのだ。

なぜか?

時間軸が存在するからだ。


論理に時間軸はない。
しかし現実には時間軸がある。

その違いだ。


論理に時間軸がないのは、
「そういう約束事にした」に過ぎない。

しかししばしば現実では、
時間軸があるゆえに論理が成立しない、
ということがあるのだ。

(これが論理や数学が、現実社会で人気がない理由かもしれない。
数学の証明は同値変形をしているだけで、
時間軸とは関係のない行為だということに、
大学に入ってようやく気付いたよ)



件の元ネタは、
「議員の言っていることは、バカと同じだ」
ということだ。

議員=バカという論理である。

しかし、
バカ→議員という前の例と、
議員→バカというあとの例では、
「議員=バカ」という印象が、
倍以上違ってくるということに注意されたい。

この例の場合、
バカは伏線として機能している。

バカの論理性に穴があることを示しておいてからの、
同じ論理を議員が語ることで、
「同じでしょ?」と示しているわけだ。

なぜ逆だと弱く感じるのかというと、
議員の主張には一瞬説得されてしまうからである。
まあそれもある、と100%否定できないから、
そのあとのバカの主張も100%否定できなくなるのだ。


さて。

つまり、あとの判断は、前の判断を引きずり、
影響される。

これを利用することを、
モンタージュという。

件の例では、バカ100%を先に見せることで、
次を100%バカに見せることに成功しているというわけである。


さあ。
順番が逆になることで、
これだけ影響がかわる。

A=BとB=Aは同じだと、
少なくとも言葉や映像の世界では言えない。

時間において可換ではない。
非可逆性がある。

時間軸があるということは、そういうことだ。
たとえ意図してなくてもだ。


ということで順番には気を付けよう。
同じことでも違ってくる。
狙いの効果が出ないときは、順番を疑うと原因があることがある。

逆にいうと、
順番をコントロールすることで印象操作が可能である。
例にだしたものは、
意図的に順番をコントロールしている例だ。
さらにいうと、
その順番に意図(悪意もふくめ)を読み取れるようになるとよい。


知らなかったでは済まされない。
これは、言葉と論理に乖離があることを言っている。
posted by おおおかとしひこ at 08:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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