モンタージュ効果という難しい言葉がついているが、
要は「順番が異なることで意味が変わってしまう」
という言葉でもおこることの経験則を、
映像でも適用しよう、
ということに過ぎない。
先日見たツイッターの例を。
バカ「そうだ! はずれ馬券を買わずに、
当たり馬券だけ買えば儲かる!」
議員「そうだ! 役に立たない研究費を削減し、
役に立つ研究だけを残せば、
効率よく科学は発展する!」
なかなかうまい批評だ。
科学研究費をめぐるバカな議論をバカと上手に言っている。
ところで、モンタージュを試みよう。
逆にしてみる。
議員「そうだ! 役に立たない研究費を削減し、
役に立つ研究だけを残せば、
効率よく科学は発展する!」
バカ「そうだ! はずれ馬券を買わずに、
当たり馬券だけ買えば儲かる!」
ん? バカがそれほどバカに見えなくなってくるね。
「一理あるのでは」と完全否定できなくなってくる感覚がある。
前のと見比べてみると、そのニュアンスはあきらかだ。
議員への「お前あほだろ」という感情が、
半分以下に減ってしまうような感覚がある。
数学では、
A=Bと、
B=Aは、
同じだと教えられる。
論理というのはそういうものだと。
しかし言葉や映像にひそむ非論理性は、
「与えられた順番で意味が異なってしまう」
という現象があるのだ。
なぜか?
時間軸が存在するからだ。
論理に時間軸はない。
しかし現実には時間軸がある。
その違いだ。
論理に時間軸がないのは、
「そういう約束事にした」に過ぎない。
しかししばしば現実では、
時間軸があるゆえに論理が成立しない、
ということがあるのだ。
(これが論理や数学が、現実社会で人気がない理由かもしれない。
数学の証明は同値変形をしているだけで、
時間軸とは関係のない行為だということに、
大学に入ってようやく気付いたよ)
件の元ネタは、
「議員の言っていることは、バカと同じだ」
ということだ。
議員=バカという論理である。
しかし、
バカ→議員という前の例と、
議員→バカというあとの例では、
「議員=バカ」という印象が、
倍以上違ってくるということに注意されたい。
この例の場合、
バカは伏線として機能している。
バカの論理性に穴があることを示しておいてからの、
同じ論理を議員が語ることで、
「同じでしょ?」と示しているわけだ。
なぜ逆だと弱く感じるのかというと、
議員の主張には一瞬説得されてしまうからである。
まあそれもある、と100%否定できないから、
そのあとのバカの主張も100%否定できなくなるのだ。
さて。
つまり、あとの判断は、前の判断を引きずり、
影響される。
これを利用することを、
モンタージュという。
件の例では、バカ100%を先に見せることで、
次を100%バカに見せることに成功しているというわけである。
さあ。
順番が逆になることで、
これだけ影響がかわる。
A=BとB=Aは同じだと、
少なくとも言葉や映像の世界では言えない。
時間において可換ではない。
非可逆性がある。
時間軸があるということは、そういうことだ。
たとえ意図してなくてもだ。
ということで順番には気を付けよう。
同じことでも違ってくる。
狙いの効果が出ないときは、順番を疑うと原因があることがある。
逆にいうと、
順番をコントロールすることで印象操作が可能である。
例にだしたものは、
意図的に順番をコントロールしている例だ。
さらにいうと、
その順番に意図(悪意もふくめ)を読み取れるようになるとよい。
知らなかったでは済まされない。
これは、言葉と論理に乖離があることを言っている。
2018年07月31日
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