物語は数字にできない。
興行は数字だ。
でも儲かった金と、観客の心に残った満足度が比例するとは限らない。
だから、お金に換算できない価値を第一に考えるべきなのは、
どの商売でも同じだと思う。
数字ばかりおいかけて、テレビはデッドエンドだ。
邦画も似たような運命を辿っている。
握手券商法であるAKBは数字は出したが、心になにかの価値を残したか?
数字は誰にでも理解出来る。
だから、「理解できないバカが、理解出来る道具」にもなる。
物語を理解していない人が、理解せずに数字だけ見てゴーサインを出しているのが、
現在のビッグバジェットの状況だ。
それが商売といえるだろうか?
株価だけ見て一喜一憂する投資は、ゲームであって投資ではないと思う。
投資とはやるべきことにお金を貸してあげることで、
投資そのものを目的にするべきではないと僕は考える。
なぜなら、お金が増えるか増えないかしか目的がなくなり、
「やるべきこと」がわからなくなるからだ。
中身を理解していないバカが、数字だけ一喜一憂している。
それがコンテンツビジネスではないか?
面白いものが、昔にくらべてなくなったような気がする。
僕が年を取っただけではないと思う。
中身と数字の折り合いをうまくつけて作る人が減り、
数字しか見ずに中身を見ない人が、増えたからではないかと思う。
ほんとうは、数字はこれくらい、中身はこんなもんか、
もう少し色をつけようかとか、ちょっと評価さげとこか、とか、
「はらづもり」で評価はするべきだ。
数字でしか評価しないのは、商売人の風上にもおけないと僕は思う。
僕が大阪出身だからそう思うのか、それとも東京があほなのか、俺がアホなのか、
それはわからない。
2018年08月01日
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