2018年08月01日

数字にできないものを数字にすることで失敗するんじゃないか

物語は数字にできない。

興行は数字だ。
でも儲かった金と、観客の心に残った満足度が比例するとは限らない。
だから、お金に換算できない価値を第一に考えるべきなのは、
どの商売でも同じだと思う。

数字ばかりおいかけて、テレビはデッドエンドだ。
邦画も似たような運命を辿っている。
握手券商法であるAKBは数字は出したが、心になにかの価値を残したか?

数字は誰にでも理解出来る。
だから、「理解できないバカが、理解出来る道具」にもなる。

物語を理解していない人が、理解せずに数字だけ見てゴーサインを出しているのが、
現在のビッグバジェットの状況だ。
それが商売といえるだろうか?

株価だけ見て一喜一憂する投資は、ゲームであって投資ではないと思う。
投資とはやるべきことにお金を貸してあげることで、
投資そのものを目的にするべきではないと僕は考える。
なぜなら、お金が増えるか増えないかしか目的がなくなり、
「やるべきこと」がわからなくなるからだ。

中身を理解していないバカが、数字だけ一喜一憂している。
それがコンテンツビジネスではないか?

面白いものが、昔にくらべてなくなったような気がする。
僕が年を取っただけではないと思う。
中身と数字の折り合いをうまくつけて作る人が減り、
数字しか見ずに中身を見ない人が、増えたからではないかと思う。


ほんとうは、数字はこれくらい、中身はこんなもんか、
もう少し色をつけようかとか、ちょっと評価さげとこか、とか、
「はらづもり」で評価はするべきだ。

数字でしか評価しないのは、商売人の風上にもおけないと僕は思う。
僕が大阪出身だからそう思うのか、それとも東京があほなのか、俺がアホなのか、
それはわからない。
posted by おおおかとしひこ at 14:02| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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