風魔の小次郎(原作)を要素分解して、
「戦記っぽい何か+忍者+不良+超能力+転生」
としているツイートに出会う。
その人なりの分析での理解だから文句は言わないが、
こと「ストーリーの要素分解」としては、
これは間違っている。
なぜか指摘したまえ。はいシンキングタイム。
これはガワの要素分解であり、
ストーリーの要素分解ではないからだ。
ガワとはこの場合モチーフだね。
たしかに学ラン不良や木刀や、
超能力や忍者が出てくる話だが、
「それが出てくる」のと「何をする」かは、
関係なくすることができる。
たとえば、
学ラン不良、木刀、超能力、忍者だけのモチーフで、
別のストーリー、「雷鳴のザジ」を作ることが出来る。
あるいは木刀がなくてよいなら、
「コータローまかりとおる!」「伊賀カバ丸」
を作ることができる。
ガワを出演者、
中身を演目としよう。
出演者が同じでも演目を変えることができる。
演目が同じでも出演者を変えることができる。
出演者は目に見えるから、
その一覧を見て、中身を知った気になる。
中身は見えないから、
出演者が中身だと勘違いする。
では風魔の小次郎(原作)の中身の、
要素分解はなにか。
「学園抗争の裏に雇われた忍者」
「両陣営に別れた対決異能バトル」
「スーパーアイテムによる確変」
が夜叉編、
「スーパーアイテムは10あり、それを集める」
「両陣営に別れた対決異能バトル」
が聖剣戦争編、
「内輪の内乱」
「両陣営に別れた対決異能バトル」
「死亡続出」
が風魔反乱編、
かな。
その中でも、
「両陣営に別れた対決異能バトル」
が一気通貫する、
風魔の小次郎の演目である。
あとは、風魔対何か、の敵違いである。
これは前作「リンかけ」で、
黄金Jrチーム結成後の、
車田漫画の必勝パターンであり、
ブラックシャフト以降、
阿修羅編、石松剣崎決闘編をのぞき、
車田正美は「同じ漫画」を延々と描いている。
出演者違いの、同演目ということである。
その後の聖闘士星矢では、
阿修羅編で培った「門突破、ここは俺に任せて先に行け」
というストーリーを黄金十二宮編に持ってきて、
人気爆発となった。
その前のイマイチだったギャラクシアンウォーズは、
チャンピオンカーニバルの焼き直しであることは、
リンかけ読者なら理解していた。
バトル漫画とは、
そもそも車田正美の発明かも知れない。
必殺技ドーンで決着する、たとえば5対5のバトルトーナメントとかね。
同じ刺激だと飽きるから、
インフレがどうしても起こっていく。
高校ボクシング→全国大会
→世界のトーナメント、イタリアンマフィア、
ナチスっぽいなにか、
→ギリシア十二神
リンかけ後期で定着した、
この異能バトルを、
ボクシングでなく忍者に適用したのが、
風魔の小次郎だ。
演目は同じで、出演者が違う。
(そしてその後のジャンプでは、まだ、
その出演者違いをやっているわけだ)
夜叉編はとくに、
山田風太郎の「甲賀忍法帖」(バジリスクの原作)
との類似点が指摘されている。
「忍びの、両陣営に別れた異能バトル」という、
出演者と演目の類似においてだ。
これを真似したわけではないと思う。
むしろ、
「両陣営に別れた異能バトル」という演目の出演者を探していて、
ボクサーでない、
忍者にたどり着いただけだと僕は考える。
風魔の小次郎がユニークなのは、
「学園抗争の裏に雇われた忍者」
という設定だ。
しかしこの設定自体、当時のコメディのパターンだった。
「転校生は忍者?」と一言でまとめられるパターンだ。
「コータローまかりとおる!」「さすがの猿飛」
「伊賀カバ丸」あたりが後世に残っているが、
他にもたくさんあったような記憶がある。
(「転校生は外人?」ていうパターンも80年代には多かったけど、
リアルにあったらいじめとかあるから、
そういうパターンはなくなったね)
で、「ライバル校にも忍者が?」
と発想すればあとはバトルが可能で、
「両陣営に別れた異能バトル」
の、お得意の演目にスライドすることが可能だ。
おそらくここまで準備して、
連載が始まったことが考えられる。
あとは出演者、つまり、
キャラクター、技、超能力、武器、
などを考えていけばよい。
風魔の小次郎がユニークなのは、
ここからさらに、
スーパーアイテム聖剣の登場によって、
確変を起こすことである。
それまでなかった後付け設定で、
夜叉編のバトルの後半を、
インフレさせたのである。
小次郎が聖剣を持つなら相手陣営も持つだろうと、
黄金剣が劇的な形で登場して、
インフレに拍車をかけてゆく。
このインフレ感が車田ロマンなのだろうかね。
聖剣戦争編は、
「仲間探し」が演目に加わる。
「この世のどこかに現代に転生した仲間がいる」
という運命的な世界の見方は、
当時流行ったものではある。
(最終的に、「ぼくの地球を守って」で大爆発する)
ただ転生要素はストーリーに関わってこないんだよね。
設定の出落ちで、
だから演目ではなく出演者のレベルだとおもう。
夜叉編におけるスーパーアイテム投入のような、
確変がなかったのが、
聖剣戦争編の盛り下がった原因だ。
設定はすごくてインフレの極みなのだが、
演目が同じことを延々とやってるだけだから、
飽きちゃうんだよね。
(僕は死牙馬戦で飽きちゃった。絵の崩壊もはじまってたし)
「勝っても負けても消滅」は、
謎めいていてインパクトがあったが、
「結局それはなんだったのか」が不明なのが、
30年モヤモヤさせてくれるわけだ。
(未完の続編「柳生暗殺帖」にて、
なぜ伊達が帰還できていて、
武蔵竜魔死牙馬が帰還出来てないのか、
明らかにされていない。
これまたモヤモヤが募る)
したがって、ストーリー要素としてこの点は外した。
聖剣戦争のインフレにより敵がいなくなったので、
味方を敵にするパターンが反乱編である。
「犯人は署長」という、
映画でもよく使われる身内最強敵のパターンだね。
これがいまいち盛り上がらなかったのは、
「聖剣戦争で消えた奴らはどこへいったのか」
「なんで小次郎だけ帰ってきたのか」
への謎が解けず、
当初は竜魔が包帯を巻いているように見せかけ、
「生還した竜魔が敵」に見えたワクワクよりも、
本編が上回らなかったことが、
失速の原因だとぼくはおもう。
竜魔が敵に回るのは、
剣崎と竜児の関係と同じで、
面白いパターンだとおもうのだがねえ。
まあ単純にそれより魅力的な敵キャラを造形出来なかった、
という敗因が大きいかな。
出演者が役不足だったのだなあ。
演目は同じなんだから、出演者で引っ張るしかない。
死紋は華悪崇以上ではなかった。
で、
グダグダの演目をごまかすために、
スーパーアイテム確変のようなイベントが必要で、
それが死亡者続出であったわけだ。
小龍も霧風も死んでしまい、
うーんなんだかなあと不満を残しつつ打ち切り。
それが、
「華々しくスタートし、
大いに盛り上がるが途中で飽きてきて、
しぼんでしまって虚しくなった」
風魔の小次郎(原作)のストーリーの要素分解だ。
このブログは脚本論だ。
ストーリーの部分を抽出して考えている。
出来上がったものから、
ストーリーとストーリーでないものをより分けて、
ストーリーの部分だけを吟味し、
あるいは変更したりよりよくしたりして、
元に戻すとどうなるかを考えたりもする。
(その最たるものは「脚本添削スペシャル」
において示しているし、風魔の夜叉編に関しては、
僕なりの解はすでに示した)
さて、
冒頭のツイートの要素分解と、
ぼくが示したストーリーの要素分解は、
形式が異なることに注意されたい。
出演者の要素分解は、
「A+B+C+D…」の形式で書かれる。
演目の要素分解は、
「A」
「B」
…
の形式で書いてみた。
何が違うかというと、
「時間軸があるかないか」だ。
出演者の要素分解において、
「A+B+C」と、「B+A+C」は同一の意味だ。
しかし演目においては、
順番が異なったら話が変わってしまう。
風魔の小次郎は、
「死亡者続出」からはじまる話ではない。
要素分解することは、
ストーリーの勉強や研究において、
とても有効だ。
複雑なものをパーツにわけ、
パーツ同士の相互作用を見て、
全体像を把握することができる。
要素分解は一意に決まるかどうかはわからない。
分析者によって異なることもあるだろう。
それはその人の見方としてどれも正しい時もあるし、
全然間違ってる時もあるだろう。
そして、
出演者の要素分解と、
演目の要素分解は、
別であることを知ることだ。
目に見えている要素分解をして分析できたと思うのは、
脚本家の立場としては大間違いだ。
ストーリーは、目に見えないのだから。
(件のツイートの人は小説を書いているようで、
演目と出演者を分けて分析する中での、
出演者の要素分解をしていた文脈かも知れないので、
このツイートだけをもって間違った分析といえないことは、
断っておく)
2018年08月02日
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