準備は早々に、
とにかく書きたいから書き始めるのもよい。
ただ、見切り発車は大抵以下のようなことが待っている。
最初は勢いがいい。
何が起こるか分からないワクワクがある。
しかし途中で詰まらなくなってくる。
ここで挫折する人も多いが、
うまく乗り越えて書き続けられたとしよう。
(その乗り越え方にはいくつかパターンがあって、
辛いけど我慢して書いているうちに、
次への突破口を見つけたか、
今までなかった要素を急に思いついて、
継ぎ足せた時だ)
後半から、キャラクターがどんどん立ってくる。
勝手に喋り、勝手に動き出す。
プロットにないことを始めたりして、
しかもそっちの方が面白かったりする。
で、後半が計画から伸び、
当初と違ったところに着地して終わる。
おおむね、見切り発車するとこうなる。
連載の時はこれでもいいと思う。
なにかが爆発的にブレイクして、
それを中心に回ると、
とても面白いことになる。
その繰り返しで波を作れる。
が、映画台本としてそれを考えると、
とてもいびつなものになる。
オチを前フリしていないし、
テーマを示す構造になっていないし、
最初のワクワク感はすぐしぼむし、
しかもそのワクワク感と後半はちぐはぐだし、
途中面白くないパートがちょいちょいあるし、
勢いの起伏がバラバラだし、
突然出てくる要素ばかりで、
それは一幕にないものだらけだし、
後半長すぎるし、
後半のノリが最初からあればいいのに、
と思ってしまうしだ。
音楽にたとえれば、
見切り発車して完結した執筆は、
失敗した演奏のようになっているのだ。
あなたはこれを放置するべきではない。
より完璧な演奏にやり直すべきである。
光る所はある。
最初のワクワク感や後半のノリだ。
「それらが渾然一体となった、
一つの有機体」としての完成度が低いのが問題だ。
だから、
リライトは困難を極める。
一回パッと推敲してもダメで、
何回も何回も書き直さないといけない。
今日に「全てを貫くアイデアを思いついたぞ!」
となっても、
明日には「ダメだこれじゃスッキリしないじゃないか」
と落ち込むことがとても多い。
一体どうすればよいのか分からず、
どこかの脚本論を真に受けながら、
少しずついじり続けることになる。
僕は、これが悪いという結論に誘導したいのではない。
これは明らかに失敗であるが、
「これを一回は経験しなさい」
ということを言おうとしている。
「勢いで書き始めた奴は、
途中で辛くなり、
なんとか爆発的な何かでリカバーし、
勢いが生まれて最後までかけたが、
全体がいびつで、
整えるのに執筆以上に苦労する」
という経験を、二度三度しておきなはれ、
ということが言いたい。
何故なら、
「これは苦労するパターンやな」
と、体が理解するからである。
そうすると、
「もっと正しい方法はないのだろうか?」
と疑問に思うはずだ。
で、ここにたどり着いてくれればいいな、
と考えている。
苦労して完結させた経験がないと、
苦労して歪みをただした経験がないと、
エレガントな脚本論は受け付けないだろう。
身にしみないからね。
つまり、
失敗からしか人は学べない。
やる前から正解が分かっている世代でも、
それは学んだことにならない。
自分で失敗した数だけしか、
うまくならないよ。
応用が効かないからね。
精々見切り発車しまくりたまえ。
慎重さが欠けている、とおじさんが言ったって、
書きたい衝動がそれを聞かないだろう。
大いに構わん。
派手に転んで、
血まみれになって、
それでもゴールしてから、
「もっといいやり方はないですか」
と来るがいい。
で、完結しやすいのは、
大長編ではなく、
数ページや30分くらいまでの作品だ。
いきなり2時間に挑戦したって、
そんなのを書き切れるのは大学生くらいまでの体力の時だろう。
それを何回もは出来ない。
だから、技術としてマスターしていくとよい。
技術だけで天才にはなれないが、
天才が技術を覚えればさらに強くなる。
そこそこの才能でも、
技術があればそこそこのものは書けるし、
何年かに一回くるすごい思いつきを、
形に出来る準備になるだろう。
そうなる前に、
そういう人たちは何度も転んで来た。
それも、経験しておきなさい。
さあ、見切り発車せよ。
夏はそういう時期だ。
傷だらけになれ。
(今年の夏は流石に災害レベルなので、
どうにもやる気がでないですが…)
2018年08月05日
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