2018年08月06日

その「いい」は、自分軸か、他人軸か

「いい」は何が決めるのだろう。

他人に「いい」と言われた時、
それは「インスタ映えする」という理由かも知れない。
つまり、
その人個人がいいと思っているわけではなく、
「いいと他の人が言うものに入っている」
を、「いい」と言っているかも知れない。


一方、
個人の「いい」は、
他人が「いい」と思わない可能性がある。

自分がいいと言っても、
他人によくないと言われるのが怖い為に、
自分のいいを封印して、
他人がいいといいそうなやつを、「いい」
というやつが増えてきた。

その原動力は、恐怖だ。

人は恐怖で、「いい」というのだ。

おかしくね?



個人の感性が間違っていることがある。

過去の歴史に無知であり、
過去の焼き直しに、
うっかり「いい」と言ってしまうことがある。

何がよくて何がよくないかのことの経験値が足りない為に、
ダサいものをいいと言ってしまい、
センスねえなと言われることがある。

そこで恐怖に縮こまることの意味がわからない。
センスがないならつければいいじゃない。

理論書はあるし、過去作は沢山ある。
点だけではなく、
点と点をつなぐ線、つまり影響関係があるから、
それをもこみで、
沢山見ればいいじゃない。

好きだったら黙っててもやるだろ。

好きじゃない、ニワカだから、
センスが磨かれてなくて、
それがバレるのが恐怖だから、
他人のいいと言いそうなやつを、
「いい」と言っている。

さらにインフルエンサーの「いい」に従っておけば、
間違いないしひっくり返されることもない。

それが現代かも知れない。



つまり、現代の「いい」は三種類ある。

1 他人のいいと言われた承認済みのやつを確認して、
「いい」という

2 間違っててもいいから、個人の思いで「いい」という

3 歴史認識を踏まえ、これまでなかった新しい「いい」と確認した上で、
「いい」という


僕は3しか「いい」と言わない。

個人の感想だが、と断って2もいう。


なぜそうならないのか?


恐怖がまさるからである。
センスねえな、
それで○○を語るなよ、
実績あんのかよ、
などなどの、誹謗中傷が来るからだ。

じゃあお前らは、誰もがいいと思う以外の「いい」を、
一人で探し当てたのか?


「いい」の発掘者を、
恐怖にかられた大衆が潰していく。
SNS社会はまるで中世だ。

付和雷同という四字熟語を勉強して来いや。



あなたの作品は、なにがいいのか?

誰かがいいという理由は、

1 誰かがいいというものに似ているからいい
2 無知の者が好みでいいと言った
3 歴史的に新しくいいという形を作っている

のどれか?


1は、クリエイティブを殺す。
2は、センスを殺す。
3だけが、歴史を前に進める。

3を言えない奴は、
「見る目がない」と告白しているに過ぎない。


見る目がないやつがいいと言ってるのは、
つまりは「過去の何かに似ている」か、
「誰も見向きもしない珍味」
でしかない。

そんな奴の言うことを聞いたって、
過去の何かの焼き直しの焼き直しか、
個人の好みに突っ走ったオナニーの、
二通りしか作れない。


今まであったものの何かに似ていてダメで、
ここは似ていないから新しくて、
個人の珍味の披露を胡椒のように効かせる。

それが正しい評論で、
あなたは自作に対しても、
他作に対してもそこように評論すべきである。


そうでない評論は、
恐怖による同調圧力か、
無知の無謀かのどちらかだ。

相手にする意味がないし、
そこに媚びてもお山の大将になるだけだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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