「いい」は何が決めるのだろう。
他人に「いい」と言われた時、
それは「インスタ映えする」という理由かも知れない。
つまり、
その人個人がいいと思っているわけではなく、
「いいと他の人が言うものに入っている」
を、「いい」と言っているかも知れない。
一方、
個人の「いい」は、
他人が「いい」と思わない可能性がある。
自分がいいと言っても、
他人によくないと言われるのが怖い為に、
自分のいいを封印して、
他人がいいといいそうなやつを、「いい」
というやつが増えてきた。
その原動力は、恐怖だ。
人は恐怖で、「いい」というのだ。
おかしくね?
個人の感性が間違っていることがある。
過去の歴史に無知であり、
過去の焼き直しに、
うっかり「いい」と言ってしまうことがある。
何がよくて何がよくないかのことの経験値が足りない為に、
ダサいものをいいと言ってしまい、
センスねえなと言われることがある。
そこで恐怖に縮こまることの意味がわからない。
センスがないならつければいいじゃない。
理論書はあるし、過去作は沢山ある。
点だけではなく、
点と点をつなぐ線、つまり影響関係があるから、
それをもこみで、
沢山見ればいいじゃない。
好きだったら黙っててもやるだろ。
好きじゃない、ニワカだから、
センスが磨かれてなくて、
それがバレるのが恐怖だから、
他人のいいと言いそうなやつを、
「いい」と言っている。
さらにインフルエンサーの「いい」に従っておけば、
間違いないしひっくり返されることもない。
それが現代かも知れない。
つまり、現代の「いい」は三種類ある。
1 他人のいいと言われた承認済みのやつを確認して、
「いい」という
2 間違っててもいいから、個人の思いで「いい」という
3 歴史認識を踏まえ、これまでなかった新しい「いい」と確認した上で、
「いい」という
僕は3しか「いい」と言わない。
個人の感想だが、と断って2もいう。
なぜそうならないのか?
恐怖がまさるからである。
センスねえな、
それで○○を語るなよ、
実績あんのかよ、
などなどの、誹謗中傷が来るからだ。
じゃあお前らは、誰もがいいと思う以外の「いい」を、
一人で探し当てたのか?
「いい」の発掘者を、
恐怖にかられた大衆が潰していく。
SNS社会はまるで中世だ。
付和雷同という四字熟語を勉強して来いや。
あなたの作品は、なにがいいのか?
誰かがいいという理由は、
1 誰かがいいというものに似ているからいい
2 無知の者が好みでいいと言った
3 歴史的に新しくいいという形を作っている
のどれか?
1は、クリエイティブを殺す。
2は、センスを殺す。
3だけが、歴史を前に進める。
3を言えない奴は、
「見る目がない」と告白しているに過ぎない。
見る目がないやつがいいと言ってるのは、
つまりは「過去の何かに似ている」か、
「誰も見向きもしない珍味」
でしかない。
そんな奴の言うことを聞いたって、
過去の何かの焼き直しの焼き直しか、
個人の好みに突っ走ったオナニーの、
二通りしか作れない。
今まであったものの何かに似ていてダメで、
ここは似ていないから新しくて、
個人の珍味の披露を胡椒のように効かせる。
それが正しい評論で、
あなたは自作に対しても、
他作に対してもそこように評論すべきである。
そうでない評論は、
恐怖による同調圧力か、
無知の無謀かのどちらかだ。
相手にする意味がないし、
そこに媚びてもお山の大将になるだけだ。
2018年08月06日
この記事へのコメント
コメントを書く