2018年08月07日

物語には、凸凹した人物しか出てこない

「なんの取り柄もない、ごく普通の人」
というのが感情移入しやすい、という誤解があると思う。

角が取れた丸い人は魅力的か?
現実ではなく、物語の中だ。

特徴があってキャラが立ってる方がいいに決まってるじゃないか。
凸凹があったほうが面白くなる。


凸凹があればあるほど、
他の人とのふれあいで角が立つ。

現実では厄介なこのことも、
物語では美味しい。

むしろ、たった角をどう解消するのかが、
物語といってもいいからだ。

物語とは問題の解消であり、
人との衝突をクリアすることだ。

それには問題が起こらなければならない。
凸凹があり、角が立つほうが、
物語を立てやすいのだ。

むしろ、わざと凸凹をつくり、
角を立てて、ぶつけ合い、
書くのが物語である。

(勿論角をぶつけ合いどちらかが死ぬまでやってもいいし、
合気道のように全てを丸く収めてもよい。
鮮やかで見事で、面白ければどちらでもよい)



凸凹とは、長所と短所とも言える。
能力のバラツキとも言える。
人より優れたところもあれば、
人より劣るところもあるということだ。

性格がいいけど酒を飲むと変わるとか、
数学が出来るがコミュニケーションに難があるとか、
みんなを纏めるのがうまいが八方美人とか、
筋肉はあるがバカとか、
類型的なものもあれば、
新しいパターンもある。

そして「AだがB」「CなのにD」「EとFが表裏一体」
などのように、凸凹の軸を複数持つキャラもいるだろう。

そして、たいてい欠点は長所とペアになる。
同じものを、別の角度から見たときに、
長所にもなれば短所にもなる。
使いようで、場面や文脈で変わって来るということ。

逆に、同じ部分が欠点にも長所にもなるように、
さまざまな文脈を用意して、
揺さ振れということだ。


ということは、全てのキャラに、見せ場を作ることが出来る。
凸凹を設定しておき、
凹になる文脈で苦戦させておいて、
一転文脈を切り替えて凸になるように風向きを変えれば、
「待ってました!」となるはずである。

これがうまく連鎖するように、
各キャラの凸凹とストーリーを編んでいくのだ。
(映画「いけちゃんとぼく」では、
原作の凸凹をより深く彫り込み、
それを見せ場に転化するよう試みた。
成功した部分と失敗した部分がある)



で、ようやく本題。

これらは脇役や敵役ならば簡単に理解できる。
しかしこと主人公において、
こうしないのはなんでやろ、
という話。

どうしても、
「主人公と作者を分離できないから」
ということが見えてくる。

自分はなんの取り柄もない、
大した人間ではないから、
大それた凸凹もないですよ、
と思うことが、
主人公をそんなつまらない人物にしてしまうのである。

(しかしそんな俺が異世界転生で無双?
というのが、一種のスタイルになってしまった。
「なんの取り柄もない人間が、
全能感を満たす御都合主義装置」
として異世界転生という発明があったわけだ。
廃れないのは、
取り柄がない人が多くて、
全能感だけは満たしたくて、
その為の言い訳が欲しい人が多いからで、
それは民度が低いというものである)

だから、
面白い物語を思いついても、
主人公周りが詰まらないことになることが多い。

主人公はあなたではない。
誰か他の人で、キャラの一種だ。
凸凹していて、
短所が相手の長所に負けたり、
長所で相手を凌駕したりしたほうが、
面白いに決まってるではないか。
主人公が他のキャラとぶつかるのと、
他のキャラ同士がぶつかるのは、
同じようでなければならない。


では、主人公と他を分けるのは何か?
自分自身の反映でなくてよいとしたら、
何が主人公なのか?
主人公キャラだから主人公なのではない。
イケメンだから主人公なのではない。

問題を解決する人が、
主人公なのである。


ある問題がある。
解決し終えた時点に行ってみる。
解決した人を特定する。
その人がその問題に巻き込まれる時点まで時計を戻し、
そこからその人を、解決まで追うのが、
物語なのだ。

巻き込まれる時点よりちょっと前から始めたほうが良ければ、
そこから始めればいいだけのこと。
(主人公自身を説明するために、
そう行ったやり方がポピュラー)


主人公は他人なのだから、
他のキャラ同様、
凸凹していてぶつかりまくると面白いし、
活躍場面になると「待ってました!」
となるだろう。


主人公の中に入ってしまうから分からなくなる。
主人公も他キャラも並べて、
人形のように動かすとよい。
特徴がないキャラは面白くない、
ということが俯瞰できるだろう。

社会的に認められた人
(正義感が強い、優しい、ちゃんとしてる)
を主人公にするべきとは限らない。
むしろ欠点こそがその人の魅力になるように書ければ、
ただの詰まらない主人公キャラから、
脱することが出来るだろう。


人は凸凹している。
物語は、それをわざと強調する。
posted by おおおかとしひこ at 13:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。