今年も8/9は大事な人の命日で、
かの人の絶賛していた風魔を、夜から朝まで一気見する、
というイベントを一人でやっております。
去年のエア再放送で見てはいるんだけど、
そこで気づかないことに改めて気づく。
笑いと涙の波状攻撃こそ、
ドラマ風魔の魅力だなあと。
僕の笑いと市野さんの笑いは全然違う。
僕のシリアスやロマンと、
市野さんのそれも違う。
車田原作にシリアスやロマンはあるが、
笑いというほどのものはない。
(初期小次郎は笑いというほどではなく、
コミカルなキャラクター、というレベル)
しかしながら、
ドラマ風魔は、
ちゃんと笑いをやり、
ちゃんとシリアスをやっている。
1、2話の小次郎で笑わせて、「本当に人が死ぬんだ」でグッと踏み込む。
雷電で笑わせて霧風で泣かせる。
劉鵬と黒獅子で笑わせて、壬生がかき回す。
小次郎という役は、
笑いとシリアスのバランスが素晴らしい。
デート回のオモシロとシリアスのバランス。
ああ、自分がやりたかったのは、
笑いとシリアスの波状攻撃なのかもなあ、
と改めて自分の無意識の発露を観察している。
いや、真面目すぎると茶化したくなる、
僕の大阪人的な気質もあるかもしれない。
若さの勢いもあった。
今あんな無茶出来るかなあ。
笑いって年取っても出来るのかなあ。
キャストは若くて芝居も不安定だ。
姫子は当時17歳。小次郎も壬生も19歳。
それでも勢いで突っ走った三ヶ月。
(企画から仕上げは、僕は半年ぐらいやってたか)
華悪崇編で笑いとシリアスの波状攻撃は出来るのか。
ネロやシュラで笑いは…無理だよねえ。
(ジャッカルなら開き直って出来そうだが)
あと監督と脚本家が変わると、
人間のありようがだいぶ変わるねえ。
テンポ感も違う。
来し方行く末を思いながら、
名作鑑賞と少しの思い出に浸っておりました。
今月から全く別の作品を書き始めたところ。
ある意味では風魔を超えると思うけど、
お披露目まで行けるかどうかは分からない。
毎年勇気をもらえる、風魔は僕の原点のひとつ。
予算は安いけど、知る人しか知らないけれど、
あんなにも輝いて、
僕の行く道を灯台のように照らしてくれる。
2018年08月09日
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