「疑わしきは罰せず」の原則は裁く側の言葉で、
疑いを持たれた人から見ると、「推定無罪」という。
しかし僕はこのどちらも適訳と思っていない。
「罪が確定するまでは罪人ではなく、
逮捕は罪人かどうかをチェックするだけにすぎず、
逮捕即罪人扱いする、人権意識の低さ」
に対して、啓蒙出来得る言葉ではないと考える。
古くからアジアには「李下に冠を正さず」の諺があり、
「疑われた瞬間に罪人確定」
という国であるからだ。
逮捕拘束は、
疑いが晴れたら無罪である。
たとえ限りない黒に近いグレーでもだ。
しかるにそれを白扱いしないのが、
「李下に冠を正さず」の、
民度の低い国というものだ。
痴漢冤罪を、女側から仕掛けることは可能だ。
「李下に冠を正さず」の国ならば。
我々紳士はなるべくその桃から遠ざかることしか、
自衛手段はない。
しかし推定無罪の人権意識が浸透している国ならば、
痴漢冤罪で駅事務所に行こうが、
有罪でないならば白であり、
社会的地位を失うどころか、
相手の女を裁判に持ち込める。
法廷で決着をつけるとはそういうことで、
「火のないところに煙は立たぬ」と、
真逆の考え方が推定無罪である。
推定無罪という言葉がよろしくない。
意味を類推出来ないからだ。
無罪解放、とでもしておけばわからない人でもその原則を類推できるものを。
解放しなければならないのなら、
逮捕には相応の証拠を十分に用意することが必要だ、
と逆に理解できるからだ。
日本は傷物を嫌う。
それは刺身を生で食べる国だからかも知れない。
ちょっとでも傷や痛みがあるなら、
刺身は避けた方がいいからね。
冤罪の問題は、
傷物を嫌う心理と深い関係がある。
しかし、傷物を嫌う心理は、
無知と深い関係がある。
女に無知なオタクは、
処女信仰が強い、
みたいなことだ。
冤罪の段階で罪人扱いする日本は、
無知だ。
テレビ報道もそうだし、
無知の極みのツイッター炎上もそうだ。
無罪解放の原則からすれば、
傷は傷にならない。
無知の傷物恐れと、
冤罪と、
傷物扱いして炎上を煽り貶めようとする人と、
本当は罪なのだが、バレてない人と。
争いを避けるがゆえに、罪を認めて事を収めようとする人と。
この5者を使うと、
物語になる。
現実を変えるのは、よく出来た物語だ。
日本は民度が低いというならば、
啓蒙をできるレベルの物語を書くべきであり、
それは物書きにしか出来ないことで、
弁護士やジャーナリストの仕事ではない。
2018年08月09日
この記事へのコメント
コメントを書く

