2018年08月09日

「李下に冠を正さず」と「疑わしきは罰せず」

「疑わしきは罰せず」の原則は裁く側の言葉で、
疑いを持たれた人から見ると、「推定無罪」という。

しかし僕はこのどちらも適訳と思っていない。
「罪が確定するまでは罪人ではなく、
逮捕は罪人かどうかをチェックするだけにすぎず、
逮捕即罪人扱いする、人権意識の低さ」
に対して、啓蒙出来得る言葉ではないと考える。

古くからアジアには「李下に冠を正さず」の諺があり、
「疑われた瞬間に罪人確定」
という国であるからだ。


逮捕拘束は、
疑いが晴れたら無罪である。
たとえ限りない黒に近いグレーでもだ。

しかるにそれを白扱いしないのが、
「李下に冠を正さず」の、
民度の低い国というものだ。


痴漢冤罪を、女側から仕掛けることは可能だ。
「李下に冠を正さず」の国ならば。
我々紳士はなるべくその桃から遠ざかることしか、
自衛手段はない。

しかし推定無罪の人権意識が浸透している国ならば、
痴漢冤罪で駅事務所に行こうが、
有罪でないならば白であり、
社会的地位を失うどころか、
相手の女を裁判に持ち込める。

法廷で決着をつけるとはそういうことで、
「火のないところに煙は立たぬ」と、
真逆の考え方が推定無罪である。


推定無罪という言葉がよろしくない。
意味を類推出来ないからだ。

無罪解放、とでもしておけばわからない人でもその原則を類推できるものを。

解放しなければならないのなら、
逮捕には相応の証拠を十分に用意することが必要だ、
と逆に理解できるからだ。



日本は傷物を嫌う。

それは刺身を生で食べる国だからかも知れない。
ちょっとでも傷や痛みがあるなら、
刺身は避けた方がいいからね。

冤罪の問題は、
傷物を嫌う心理と深い関係がある。

しかし、傷物を嫌う心理は、
無知と深い関係がある。

女に無知なオタクは、
処女信仰が強い、
みたいなことだ。


冤罪の段階で罪人扱いする日本は、
無知だ。



テレビ報道もそうだし、
無知の極みのツイッター炎上もそうだ。

無罪解放の原則からすれば、
傷は傷にならない。

無知の傷物恐れと、
冤罪と、
傷物扱いして炎上を煽り貶めようとする人と、
本当は罪なのだが、バレてない人と。
争いを避けるがゆえに、罪を認めて事を収めようとする人と。


この5者を使うと、
物語になる。



現実を変えるのは、よく出来た物語だ。

日本は民度が低いというならば、
啓蒙をできるレベルの物語を書くべきであり、
それは物書きにしか出来ないことで、
弁護士やジャーナリストの仕事ではない。
posted by おおおかとしひこ at 13:37| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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