2018年08月10日

体液をなるべく出せ

極論すると、
涙、汗、血、精液などが出てないのは、
面白くない話かもしれない。

なぜなら、必死さが足りていないからだろう。


体液が出てない状態というのは、落ち着いている状態だと言える。
クールで、無表情で、理屈や約束事や、惰性で生きている状態だ。

それは死んでいるも同然で、
喜びから遠ざかっている状態で、
もちろん悲しみや苦しみからも遠ざかっている状態である。

生きている状態というのは、
汗や血や涙を流している状態なのかもしれない。

危険が迫ったり、追い詰められていたり、
脂汗をにじませるような嫌な状況だったり、
なりふりかまわずどろどろになっている状態だったり、
後先を考えず刹那的にならざるを得ない状況だったりする。

その必死さによる一瞬のきらめきが、
人生であり、物語であるかもしれない。


つまり、体液を流していない状態は平常運転ということだ。
物語とは異常のことだ。
いつものやり方ではない、
普通と外れた、
おかしなことに関わることで、
自分自身の存在が脅かされる危険を犯すことである。

普段はリスクを取らなくても、
ことストーリーとはリスクを取ることである。

それは動機があるからで、
それがあるから結果が出て、
汗を流したり、涙を流す事態になったり、
血を流すことになったりする。

結果を出すことを恐れて前に進まないのは現実だけでいい。
物語では、前に進むことこそがストーリーだ。


ストーリーをチェックしよう。
ずっと平静か?
どこで平静を失っているのか?

ずっと平静を失っているのが理想で、
時々我に返るぐらいがちょうどいい。

それくらい必死になにかをすると、
テンポのよい、焦点がはっきりした、
ドキドキするなにかになっているはず。
つまり「なにに必死か」があるはずだから。


心拍数は上がる。上気する。恋をする。闘う。
冷静な判断をしている暇がない。
アドレナリンがバンバン出ている。

それが物語の平温である。

クールで正常な精神が支配するのは日常で、
物語とは非日常を扱うものだ。

主人公が体液を放出しているかどうかは、
そのバロメータになる、ということである。

走れ。焦れ。恥をかけ。ドキドキするんだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:38| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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