極論すると、
涙、汗、血、精液などが出てないのは、
面白くない話かもしれない。
なぜなら、必死さが足りていないからだろう。
体液が出てない状態というのは、落ち着いている状態だと言える。
クールで、無表情で、理屈や約束事や、惰性で生きている状態だ。
それは死んでいるも同然で、
喜びから遠ざかっている状態で、
もちろん悲しみや苦しみからも遠ざかっている状態である。
生きている状態というのは、
汗や血や涙を流している状態なのかもしれない。
危険が迫ったり、追い詰められていたり、
脂汗をにじませるような嫌な状況だったり、
なりふりかまわずどろどろになっている状態だったり、
後先を考えず刹那的にならざるを得ない状況だったりする。
その必死さによる一瞬のきらめきが、
人生であり、物語であるかもしれない。
つまり、体液を流していない状態は平常運転ということだ。
物語とは異常のことだ。
いつものやり方ではない、
普通と外れた、
おかしなことに関わることで、
自分自身の存在が脅かされる危険を犯すことである。
普段はリスクを取らなくても、
ことストーリーとはリスクを取ることである。
それは動機があるからで、
それがあるから結果が出て、
汗を流したり、涙を流す事態になったり、
血を流すことになったりする。
結果を出すことを恐れて前に進まないのは現実だけでいい。
物語では、前に進むことこそがストーリーだ。
ストーリーをチェックしよう。
ずっと平静か?
どこで平静を失っているのか?
ずっと平静を失っているのが理想で、
時々我に返るぐらいがちょうどいい。
それくらい必死になにかをすると、
テンポのよい、焦点がはっきりした、
ドキドキするなにかになっているはず。
つまり「なにに必死か」があるはずだから。
心拍数は上がる。上気する。恋をする。闘う。
冷静な判断をしている暇がない。
アドレナリンがバンバン出ている。
それが物語の平温である。
クールで正常な精神が支配するのは日常で、
物語とは非日常を扱うものだ。
主人公が体液を放出しているかどうかは、
そのバロメータになる、ということである。
走れ。焦れ。恥をかけ。ドキドキするんだ。
2018年08月10日
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