2018年08月11日

デザイナーとストーリーテラーは相容れない

目的と手段が逆じゃないか、
と考える。


デザイナーは、絵を描くのが目的。

ストーリーテラーは、絵は手段。
目的は、ストーリーを伝えること。

デザイナーは、絵を描く目的のために、
ストーリーを手段として使うことがある。
カッコイイポーズの絵とか、
ストーリーを感じさせる絵を描くための、
手段としての「ストーリー性」だったりする。


いい写真というのは、
ストーリーを感じられる、
動きのあるものだと思う。
実際に動いてなくても、
「今にも動き出しそうな緊張感」
があってもいい。
静止しているのに、
それぞれの要素の間に力の糸が張られていて、
それぞれがダイナミックに釣り合っているような感じでもいい。

机の上にモノが乗っているような、
安定的な釣り合いではなく、
もっと蠢きのある釣り合いが、
いい写真であり、いい絵だと思う。

だから、ストーリー性は、
写真や絵やデザインの道具でしかない。


逆に、
ストーリーは、絵はどうでも良い。
わかりにくいとかダサいとかが論外になるだけで、
カメラマンや主演で変わってくる絵を、
ストーリーが規定することはできない。

今風で、分かりやすければ、
ストーリーを伝えるのが目的にすぎず、
絵はストーリーの道具である。


隷属関係が逆だ。


だから僕はアートディレクターと仲が悪いし、
デザイナーとも仲が悪い。
正確にいうと、
ストーリーに関するやつらの無知っぷりに腹が立つ。
一生同じところで籠もってろ。

僕は広告代理店のよくいう、
「テレビCMとグラフィックが連動している」
という理屈がわからない。
同じ看板を掲げているという下の方の理屈しかないと思う。
それはムービーを動く看板程度に価値を下げる。

だからテレビは衰退したんだ。

始まって、終わって、消えてなくなって記憶だけが残るのがテレビ。
始まりもせず終わりもせずずっとそこにいるままなのがグラフィック。
両者が同じビジュアルなのはどちらもスポイルする。
だから広告のレベルが落ちたのだ。



絵が上か、ストーリーが上か。

成果物が良い方が勝ち。

で、極上の絵には極上のストーリー性があり、
極上のストーリーには極上の絵がある。
それだけの話。


今誰と話している?
デザイナー?ストーリーテラー?

相手を特定しないと、
文脈が真逆になるぞ。
posted by おおおかとしひこ at 15:36| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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