執筆とはそういう行為だ。
実際の執筆は、一日数シーンしか進まない。
できれば一幕全部を書ければ、
4日で済むんだが、
そうもいかない。
頭の中で世界を構築し、
頭の中で人物を動かし、
頭の中で人物を喋り合わせる。
そのディテールを詳細に、
かつ実在性が高いようにつくるのは、
一日数シーンが限界だろう。
まあ色々決まっている後半ならば、
一気に書ける、ということもある。
三幕を一日で書き切る、
という経験は珍しくない。
しかしほとんどの場合、
コツコツ1シーン1シーン進めるしかない。
そしてそれらは、
本当らしい存在感が必要だ。
もっともらしい行動の理由が必要だ。
結果や経過ではなく、
そうするに至るのも当然だという理由が必要だ。
プロットでは「ふと寄り道をする」
なんて適当なことを書いてあったとしても、
実際の執筆では、
「コンビニに入る美女を見る」かも知れないし、
「電池が切れたので買い足すことを思い出す」かも知れないし、
「暑くて涼みたい」かもしれない。
それのどれが今一番自然でもっともらしく、
御都合主義でないかを判定し、
文字にしていく。
不自然だなと思ったら線で消し
(完全消去はお勧めではない。
手書きのいいところ)、
別のアイデアを書いていく。
それを毎日続けるのが執筆だ。
つまり、
毎日もっともらしい嘘をつき続ける。
毎日おかあさんに参考書の小遣いをせびるための、
バリエーション豊かな嘘をつく生活のようだ。
それと違うのは、
小遣いは自分のためにしかならないが、
ストーリーを書くことは、
みんなの楽しみになることである。
自分一人が得をする嘘をつくるのではなく、
みんなが楽しむ嘘。
大嘘で風呂敷を広げたあとは、
そういう小さな架空のリアルで嘘をついていく。
なぜ彼は彼女を追ったのか?
「夢で見たから」とプロットにあったけど、
執筆の時に、
「チラリと見えたブラが夢と同じだったから」
という不思議な理由を足してみた。
人の衝動の理由をうまく描写できていると思った。
そういう小さな本当っぽい嘘を、
毎日つく。
それが私たちの仕事の日々である。
2018年08月14日
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